球友を失ってから、2年が過ぎた。2021年8月3日、元中日投手の木下雄介さんが27歳の若さで急逝した。ソフトバンクの又吉克樹投手は「個人的には『もう2年か』って感じです。2年経ってしまったのか……っていう」と語る。時の経過は感じても、思いは薄れない。自らのグラブに込めた願い。皆に愛された右腕のことを、きょうも思い出す。
木下さんは2016年育成ドラフト1位で四国IL・徳島から中日に入団した。又吉も四国IL・香川出身ということもあり「独立から入ってきて、名前は知っていました」と、入団時から気にかけてきた存在だった。2017年の秋季キャンプでは、ロッカーが隣に。「(ファームで)成績を残していたのも知っていました。『支配下になったら何か記念に贈ってあげる』って話しましたね」と思い出す。
又吉は2013年ドラフト2位でプロ入りすると、1年目から3年連続で60試合に登板してセットアッパーの地位を築いた。木下さんも同じリリーバー。150キロを超える直球を武器に、プロ2年目の2018年3月に支配下登録された後輩の姿に「『こいつなら(支配下に)なるだろうな』っていう方が強かったです」と驚きはしなかった。約束を果たし、時計をプレゼント。ともに1軍の戦力として切磋琢磨してきた。
2021年のペナントレース開幕を5日後に控えた3月21日、木下さんに試練が訪れた。日本ハムとのオープン戦(バンテリンドーム)で右肩を脱臼。およそ3週間後には、肩にメスを入れるとともに、トミー・ジョン手術にも踏み切った。復帰まで気の遠くなるような道のり。少しでも背中を押せればと、特製のTシャツを製作。2人がグラブを使っているローリングス社が、快く引き受けてくれた。
「野球をやっていたら(リハビリが)どれだけ長くなるのか、わかるじゃないですか。そこにくじけてほしくなくて」。チームメートやスタッフにも配り、皆が練習などで着用。言葉ではもちろん、形でも木下さんを励まし続けた。
急変したのは、手術から3か月ほど経った7月6日だった。木下さんは練習中に意識を失い、救急搬送。容体は回復せず、8月3日に息を引き取った。あまりにも突然の出来事。球団から知らされ「実感がなかったです」。又吉にとっても、受け入れ難い事実だった。
追悼試合として行われた9月5日のDeNA戦(バンテリンドーム)。試合前、大型ビジョンに木下さんの勇姿が映し出され、ふと思った。「『こいつ、いなくなったんだな』って。あれを見た時に、もう会うことないんだって思って」。寂しさは、その瞬間に急にやってきた。
その試合では1イニングを無失点に抑え、2021年の1勝目が転がり込んだ。プロ通算44勝の中でも「今思えば、木下に勝たせてもらったのかな」と忘れられない白星だ。同年はキャリアで2番目に多い66試合に登板。「しかも僕のシーズン初勝利だったので、今も焼き付いています。シーズンも確か100試合を過ぎていたので」。偶然だなんて言葉では片付けたくない“奇跡”だったと、今も思っている。
今、又吉のグラブには、木下さんの名前と背番号98が記されている。その刺繍を見れば、自然と在りし日を思い出す。「あいつがやりたかった野球をまだやらせてもらっているので」と、感謝を心に刻む。今季のグラブは茶色だが、昨季は黒色だった。「あれも木下が使う予定だった、使いたかったカラーリングなんです」。木下さんの存在が、マウンドに上がる原動力のひとつになっている。
「(今もグラブに名前と背番号98を入れているのは)僕もそうなんですけど、メーカー側からも『入れましょうよ』っていうのがあって。そこからもわかりますよね、あいつがローリングスの人たちや、その近しい人たちにどれだけ愛されていたのかっていうことも。Tシャツとかのことも含めて、本当に愛されていたんだと思います」
悲しみから1年が経った2022年の8月3日、又吉は自身のツイッターを更新。当時はリハビリ中で、木下さんの投球動画を添え「早く治してマウンドに戻らんと怒られる」と投稿した。スマホ内のフォルダには、亡き友の写真や投球動画も多く残っている。「すごい球を投げていたって、映像を見ても思いますよね」と刺激に変える。
今季は7月25日にファームから昇格し、命日を1軍で迎えることができた。「このタイミングで1軍にいられることもそうですし、こうやって取材していただけることで、木下はプロ野球選手としていろんな人に認知されていたんだなって。嬉しいことですよね」。又吉が投げる一球は、自分だけの一球ではない。プロ野球選手として、マウンドで戦い続ける。木下さんの思いを背負って。