「夢も希望もなくなった8月1日に」小久保2軍監督は1時間ボールを投げ続けた
7月末で今季の支配下登録期限が終了した。ホークスは7月28日にダーウィンゾン・ヘルナンデス投手の加入を発表。支配下登録できる70人の枠は埋まった。“残り1枠”を目指してきた育成選手たちの心境とは、どんなものだったのか。支配下登録の候補の1人と目されてきた2年目の仲田慶介外野手が心中を明かした。
怪我に悩まされる前半戦だった。3月には1軍のオープン戦にも合流される予定だったが、その直前の怪我でチャンスを逸した。約2か月、戦列を離れてリハビリ生活を送ることになり、痛い出遅れとなった。復帰後すぐに活躍するため、リハビリ中も懸命に体づくりに励んだ。実際に復帰してからの6、7月は猛アピール。「圧倒的な結果を出すこと」を自身に課し、最後の最後まで可能性を信じた。
ただ、現実は残酷だった。7月最後の6連戦が始まる25日朝に「ヘルナンデス獲得」のニュースが飛び込んできた。仲田は「悔しかったです。最後の6連戦に結構かけていたので。もう、そこで全打席打ってやろうぐらいの気持ちで臨むつもりでいた時に、そのニュースを見たんで。正直、気持ち的にはちょっと落ちたというか」と動揺は隠しきれなかった。
仲田は自ら言葉に発することはなかったというが、そのショックは周囲にも伝わっていた。本多雄一2軍内野守備走塁コーチには「大丈夫か」と心配され、高谷裕亮2軍バッテリーコーチからは「ここで腐ったらダメだぞ」と声を掛けられた。ひたむきさが売りの仲田だけに腐ることはない。当然、本人もそんな気はなかったが、心に受けたダメージが大きかったのも事実だった。
まだ、ショックが残る支配下登録の期限翌日の8月1日。仲田に声を掛けたのは小久保裕紀2軍監督だった。「夢も希望もなくなった8月1日に」と、マンツーマンでの特打が始まった。小久保2軍監督自ら打撃投手を務め、思いを込めてボールを投げ続けた。「熱中症になるかと思ったわ」と指揮官は笑っていたが、炎天下での“対話”は約1時間に及んだ。
仲田自身も「今まで1番キツかった」と振り返るほどの“熱い”時間。「1球、1球伝わってくるというか、小久保さんの思いがボールに乗って……」。言葉はなくとも、小久保2軍監督の思いを全身で感じた。それに応えようと、仲田も全球フルスイングで弾き返した。
「もう絶対活躍してやろうと思いました。夢も希望もなくなった8月1日の相当暑い中、1時間近く特打やったこと、いずれ活躍してネタにしてくれよって、小久保さんには言われました。ちょっと落ちていた気持ちはあったんですけど、今日からまた、というか、もう来季は絶対活躍してやろう、頑張ろうと思いました」
心のモヤモヤは晴れ、新たなモチベーションが生まれた。福岡出身で子どもの頃からホークスファンの仲田にとって、小久保2軍監督は「スーパースター」。厳しさと愛情を持ってぶつかってきてくれる憧れの人に改めて感謝した仲田は「(今季は)残り2か月なんですけど、目標は(2軍で)3割打って来季に繋げられたらなと。7月と同じような気持ちで毎打席、毎試合集中して取り組みます」とやる気に満ち溢れていた。悔しさを乗り越えて、仲田はまた強くなった。
(上杉あずさ / Azusa Uesugi)