【連載・栗原陵矢】甲子園出場でも「褒められなかった」 車の中はいつもお説教…厳しかった父

ソフトバンク・栗原陵矢【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・栗原陵矢【写真:荒川祐史】

交流戦が終わった18日は父の日「メッセージを送ったぐらいです」

 鷹フルがお届けする主力4選手による月イチ連載、栗原陵矢選手の「6月後編」です。今回のテーマは「お父さん」。去る6月18日は「父の日」でした。栗原選手にとって父・和弘さんはどんな存在なのか。野球を始めるキッカケや父との思い出を明かしてくれました。栗原選手の次回連載は7月17日(月)に公開予定です。

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 ホークスの2023年の交流戦が18日に終わった。18試合を戦って11勝7敗。TQBによって優勝こそ逃したものの、頂点に立ったDeNAと同じ勝敗数だった。栗原自身は打率.203、2本塁打7打点。結果としては奮わず「難しかったですね。でも、こんなもんじゃないですか。(怪我で離脱していた)ブランクとは言いたくないですけどね。シンプルに自分の技術不足だと思います」と振り返った。

 交流戦が終わった18日は世間では「父の日」だった。栗原にとって父・和弘さんはやはり特別な存在。「LINEでメッセージを送ったぐらいですかね。父の日って、何をプレゼントしたらいいのか分からないんで……。『いつもありがとう』的なメッセージを送ったぐらいです」。なにかを贈ったわけではないが、日頃の感謝を伝えた。

 野球を始めたキッカケは父だった。和弘さんももともとは野球をプレーしていた。「高校の野球部は1日で辞めたらしいですけどね」と栗原は明かしつつ「親父はなんとしてでも僕に野球をやらせたかった感じらしいです」。物心つく前から父とキャッチボールをするようになり、自然と野球の道へと進んでいった。

 ただ、とにかく厳しい父親だった。「野球に対してはすごく厳しかったですし、褒められたこともないです。打つ打たないはもちろんですけど、そういうことよりもちょっとした気の抜けたプレーとか、全力で走らなかったりとか、そういうことに関してはすごく厳しかった。帰りの車でいつも説教されていました」。

 日々、父の教えを受けながら、栗原は世代を代表する捕手へと成長した。中学時代にボーイズリーグの日本代表に選ばれ、高校は春江工に進学。1年春から正捕手を任され、秋には主力として北信越大会初優勝を勝ち取った。明治神宮大会でもベスト4に進み、翌年の選抜大会で甲子園に出場。ただ、同校で初、そして唯一の甲子園出場を果たした時でも父には「褒められなかったです」という。

 あまりの厳しさに「反抗できなかった」という威厳ある父。幼少期からの指導が生きてか、今でも栗原は日々の準備に全力を尽くしている。ホームゲームの時はアーリーワークに参加し、試合後の打撃練習を怠らない。ビジターの試合でも球場入り前にはウエートトレーニングにも励んでいる。

 そんな父は誰よりも栗原を応援してくれている。プロ野球選手となり、離れて暮らすようになった息子の試合を度々、福岡まで観戦に訪れている。オフに帰省すれば、一杯だけ酒を飲み交わす。「父ちゃん、酒飲めないんです。だから食事に行ったりすると、僕に一杯付き合うぐらい」。そんなひと時が父と息子の幸せな時間なのだ。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)