プロ初打席も「ベンチに帰ったらみんな笑ってて」…間違えてしまった真相とは
バッティングはハッキリと「めっちゃ苦手」だと笑う。思わぬ形で訪れたプロ初打席。2日に行われた広島戦(マツダ)で初打席に立ったのが、ソフトバンクの板東湧梧投手だった。3回に迎えた打席は空振り三振に倒れたものの「楽しかったです。簡単にやられました」とはにかみながら振り返った。右打者だが、着用していたフットガードは左打者用。ベンチからも笑われたというその真相に迫った。
2回無死、広島マクブルームの打球が先発の和田毅投手の左手に直撃。ブルペンですぐさま肩を作り始めたのが板東だった。2回は満塁とされながら無失点でしのぐと、3回1死二塁で打席が回ってきた。相手先発の床田の球をファウルにして追い込まれると、最後はフォークで空振り三振。「めちゃくちゃ振り遅れていると思ったので、もうちょっと(ポイント)前かなと思ったんですけど、フォークがきて。『あ、無理や』って」。苦笑いで打席での心境を明かした。
ベンチでは栗原陵矢選手らが笑みを浮かべて板東の打席を見守っていた。「あとで映像を見返したらみんな笑っていましたね」と照れ笑い。使用したのはZETT社のバットで「大樹(野村)か晃(川瀬)の、どっちのものかわからないですけど。大樹が持ってきてくれたものを使いました」。試合後には自らのSNSで着用していたフットガードが左打者用だったことを告白。どんな経緯で間違えてしまったのか。
「あれは投手用のだったんです。結構バタバタで、色々選べたんですけど、無難な黒を貸してもらって。『これにしよう』と思っていったら、左用でした(笑い)。三振してベンチに帰ったらみんな笑ってて。『お前それ左用やで』みたいな。『え! 先言ってくださいよ』って(笑い)。いい思い出になりました」
リーグ戦では打席に立つことがないうえに、この日の登板は和田の緊急降板によるスクランブルだった。バタバタとマウンドに上がった直後に打席が回ってきたこともあり、慌てながら打席に入ったことがお茶目な間違いにつながったよう。「うちのチームの打順とか全然気にしていなかったので。投げてすぐに『次回ってくるぞ』と言われるまで忘れていました」と苦笑いするしかなかった。
「『早く準備しろ』って言われて、何も持っていないですよって。『手袋しか持っていないです』って手袋を取りに行って。そしたら大樹が色々、貸してくれました。『バットどっちにしますか?』って。『じゃあこっち』とか言いながら」
鳴門高時代の通算本塁打は0本。それどころか、打撃は「めちゃくちゃ苦手。酷いです」と言い、打順も8番だった。「バッティング練習が嫌いだったので、普通に打っていたら足に当たったりして。『お前もうせんでええわ! 下手くそやねんから!』って言われて」と“バッティング禁止令”が出されるほどだった。のちに打撃面で大きな後悔をすることになる。
忘れられない苦い思い出は2年秋の四国大会準決勝。勝てば、選抜大会出場が決定的になる試合で、愛媛の済美高と対戦した。相手は翌年のドラフトで楽天に1位指名される安楽だった。3点を追いかける展開で9回に突入したが、鳴門高は1点差まで追い上げ、なお無死一、三塁で板東に打席が回ってきた。「サインが出たのが送りバントで」。チャンスを広げるために、集中してバットを寝かせた。
結果はバントを試みたものの、まさかのピッチャーフライ。その後の打者が打ち、結果的にサヨナラ勝ちしたことで甲子園出場は決定的になったが、板東自身は「泣きそうでした。『甲子園なんて行きたくない』って思った記憶があります」というほどの思い出だ。
高校球児なら誰もが願う甲子園に「行きたくない」とすら思ったのは、1度の失敗のせいだけではない。出場した選抜大会でも背番号1を着けたが、その理由は「ピッチャーがいなくて、僕だけだったんです」。当時の鳴門高は打線が持ち味のチーム。「僕はピッチャーとしても“カス”だったので。甲子園で恥かくなら行きたくなかったです」と自信のなさからくる思いだった。
そんな板東がプロ初打席に立ったことで、高校の同級生たちが次々とSNSを更新した。「インスタでみんなが反応してくれて、送ってきてくれました。『あの板東が! バット当たったぞ!』ってイジられて(笑)」。そう言えるのも、板東が今も第一線で戦っているからだ。板東は15日に神宮球場で行われるヤクルト戦に今季初先発する見込み。セ・リーグの主催試合ということで再び打席に立つことになりそうだ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)