鷹フルで月イチ連載の新企画がスタートした。トップバッターは野球日本代表「侍ジャパン」のメンバーとしてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝にも貢献した甲斐拓也捕手。後編では、WBCで戦った大谷翔平投手(エンゼルス)、ダルビッシュ有投手(パドレス)との逸話を明かす。
悲願の世界一に輝いた最高峰の舞台「WBC」。甲斐は1次ラウンドの中国戦、チェコ戦、準々決勝のイタリア戦でスタメンマスクを被った。中でも注目を集めたのは初戦の中国戦だろう。大谷とバッテリーを組んで中国と対峙。結果から言えば、大谷は4回を投げて1安打5奪三振無失点。きっちりと役割を果たして、2番手の戸郷翔征投手へとバトンを渡した。
この試合、大谷は49球を投じ、そのほとんどの球種が真っ直ぐとスライダー。大谷の武器であるスプリットをほとんど投げなかったことも議論の的になった。実はこの試合、大谷と甲斐の間で明確な意図があり、この配球になった。
「どうしてもWBCでは球数が決まっている。全部の球種を投げてボールにするのが勿体ないというのが翔平の考えだったんです。スプリットは基本ボールになる球で、そのボールをわざわざ投げるのが勿体ないって」と甲斐は言う。大谷からの提案でもあった。
1次ラウンドでは、1人の投手が投げられる球数は65球が上限と定められていた。できるだけ少ない球数でイニングを重ね、より長く投げられるようにしたい、と考えるのが当然だ。見送られると基本、ボール球になるスプリットを極力投げず、真っ直ぐとスライダーでどんどんストライクゾーンに投げていく、というのが大谷と甲斐の間で決めたプランだった。
たった2球種で抑えられるのか。そこに対しても2人には通ずる自信があった。「翔平は『僕のスライダーは初見では多分打てないんで』と。対応を見て、スライダーが合ってない、前に飛んでないんであれば、もうスライダーでいいと思います、というようなことを言っていました」。実際に中国の打者がスライダーを捉えられないのを甲斐もマスクを被りながら確信。「バットとの接点がないっていうふうに僕も思いました」。スプリットは要らないと、真っ直ぐとスライダーで貫き通した。
実は大谷が全力で投げるボールを受けたのは中国戦が初めてだった。大谷がチームに合流したのは名古屋での強化試合。ブルペンでの投球練習は中国戦の2日前の一度だけ。甲斐が受けたものの、軽く流す程度のピッチング練習で「本当に軽く投げるだけで、本当に僕もびっくりする、これで大丈夫なのっていうぐらいでした」と驚くほどだったという。
米国との決勝戦。大谷はクローザーとして最終回のマウンドに上がった。この時、マスクを被っていたのは中村悠平捕手(ヤクルト)。準々決勝のイタリア戦でも大谷とコンビを組んだのは甲斐。中村は優勝した後、大谷のボールを受けたのはあの決勝戦が初めてだったことを明かしていたが、そこには「翔平がそんなに投球練習で投げないんで。悠平さんが受ける機会がなかった」という理由があった。
9回に入る前、初めて大谷とコンビを組むことになる中村と甲斐が話し込む場面があった。何を伝えていたのか。「サインと、例えばスライダーのときは翔平はこうして欲しいって言ってましたとかを伝えただけ。例えば左バッターの外にスライダーを投げる時は『コースにきっちり寄って欲しい』とか、そういった話をした感じです」。初めてコンビを組む大谷と中村が不安なく、やりやすくなるように、大谷から伝え聞いていた希望を全て中村に伝えたのだった。
甲斐は大谷という存在を「やっぱり衝撃的でした」と語る。打者としてはもちろん、投手としても、ダルビッシュと共に異次元だったという。「ダルさんもそうでしたけど、やっぱり違います。まず(ボールの)出どころが違いますし、ボールの回転も違う。本当に吹き上がってくる球というか、なかなかバットとの接点がないような球といった感じですね」と表現する。
また、チームリーダーとして牽引したダルビッシュの存在も「本当にすごいなと思いました」と振り返る。ダルビッシュはチーム最年長。年下ばかりのチームにあって、ダルビッシュの振る舞いは心に響いた。「みんなに対して丁寧に話を聞いてくれて、絶対に人のことを悪く言わない。その人の気持ちになって話をしてくれますし、すごく話しやすかったです」。甲斐も様々な話を聞いてもらい、自身が取り組んでいることへのお墨付きももらった。
何より驚いたのがチームの外への気配りだった。
「決起集会をやるにしても、ダルさんの一声があったり、行ったお店の方への気遣い、写真を撮ったり、サインを書く姿、そういったところは本当にすごいなって感じました。ホテルでも普通にファンの方と写真を撮ったり、サインを書いていましたし、僕もいろいろあって、キャンプ期間中にサインをしてもらったんです。本当に申し訳ないなって思ったんですけど、『サインもらっていいですか』って聞いたら『もう全然いいよ。たくさん持ってきてよ』っていうふうに言ってくれました」
極限の緊張状態で戦い抜いたWBC。プレー面での経験ももとより、大谷とダルビッシュという世界を代表する選手の考え方や姿勢に触れることができたのも、甲斐にとって、かけがえのない財産になった。