ソフトバンクには球界を代表する“レジェンド打撃投手”がいる。浜涯泰司さんは裏方になって今季で24年目のシーズンを迎えた。打撃投手一筋で、ホークスのためだけに腕を振ってきた。打撃投手としてのやりがいを「一番はバッターが気持ち良く試合にいってくれたら」と語る。
1992年ドラフト3位で九州国際大から当時のダイエーに入団した。通算で58試合に登板して1勝1敗1セーブ、1999年オフにユニホームを脱ぎ、打撃投手へと転身した。打者を抑えることから、打者に気持ちよく打たせることが仕事となり、何万球と腕を振ってきた。ストライクを投げ続けることを「本当に難しいこと」と表現する。自身が考える“極意”を聞いた。
「一定のスピードで、一定のリズムで、一定のコースに投げられるのが一番理想。毎回毎回、同じところに。そう簡単ではないんだけど、同じ100キロでもチェンジアップみたいに“垂れ”たら打者は打ちにくいし、スッときたら打ってくれるから」
今なら、浜涯さんは打撃回りの中で柳田悠岐外野手の“専属”に近い形になっている。1月の自主トレにも参加してボールを投げる。毎日同じ打者に投げていると、調子の波や微妙な変化も感じ取れるといい「投げていて調子いいなとか感じますよ。でも僕らは打撃コーチでもないし、何かできるわけじゃない。より一層丁寧に投げることは心掛けますね」。打者自身に変化を敏感に感じてもらうためにも、打撃投手は変わることなく投げ続けることが大事だと強調した。
精密なコントロールを求められる仕事。浜涯さんは、選手によってストライクゾーンを2分割しているという。「低めが好きか高めが好きなのか、とか。外国人はインコース嫌がるから、真ん中より外め。でもギータとか(中村)晃は内寄りの方がいいから。ベースを半分にする感じかな」とイメージを具体的に語った。内外と高低を使い分け、選手のために丁寧にボールを投げている。
シーズンなら1日に100球以上、キャンプ中なら200球以上は投げる日々だ。それでも、裏方になってからの23年で「肩も肘も、痛くて投げられないとなったことはない」と胸を張る。体のケアについては「特に何もしていない」と笑ったが「投手とは違って、全力では投げていないから。でも怪我するやつはするんだけどね」と自分なりに分析していた。
ホークスに10人いる打撃投手の中でも最年長だ。意識していることは「選手あっての裏方だから“選手ファースト”じゃないけど、選手をしっかりリスペクトすること」。特に心掛けていることは、選手との距離感だという。現役時代などにどれだけ選手と仲が良くても、今は選手と裏方という関係性だ。選手へのリスペクトをしっかりと持って、1球1球に気持ちを乗せている。
「それは若い子たちにも伝えるようにしている。もともと選手だったやつが(打撃投手に)なることが多いんだけど、選手からスタッフになった時に、そこに気づけることは少ない。友達じゃないけど“なあなあ”な関係になりがちだから。俺も特別、仲がいいヤツはいるけどそういうもの(友達)じゃない」
選手からスタッフへの転身は珍しいことではない。しかし、選手時代の気持ちや距離感を“引きずってしまう”人は意外と多いといい「なかなか気づかないよ。一緒にやっていた選手がいるから」と語った。今は最年長だからこそ「背中でも見せなあかんと思うし、言う時は言わなあかんと思うし。一応あるつもり」と柳田のように“キャプテン”のつもりで日々を過ごしている。
何百、もしかしたら何千の選手のために左腕を振ってきた。裏方さんも“プロ”なのだ。次回は、浜涯さんが柳田から感じた「2023年にかける思い」を語る。