親友からかけられた言葉 ドラ4大野稼頭央が語るプロ入りへの「一番の転機」

新入団会見に臨んだソフトバンク4位の大野稼頭央【写真:福谷佑介】
新入団会見に臨んだソフトバンク4位の大野稼頭央【写真:福谷佑介】

島外の強豪私立高校への進学を望んでいた大野に親友がかけた「大島でバッテリーを」

 5日に行われた新入団選手発表会見でプロとしての第一歩を踏み出したホークスの新人たち。今秋のドラフト会議で指名された支配下6選手、育成14選手の計20人がホークスの真新しいユニホームに袖を通した。初々しいルーキーたちの中で「全試合先発完投」と目標を掲げたのが、ドラフト4位の大野稼頭央投手(鹿児島・大島高)だった。

 奄美大島の大島高で、今春のセンバツに出場。夏は鹿児島県大会の決勝で鹿児島実に敗れて2季連続の甲子園出場はならなかったものの、6試合全てで完投した。先発すれば1人で試合を投げ抜くのが、大野の生きてきた道で「1試合全部投げ抜くっていうのをずっとやってきていたので、プロでも1つの目標として継続していけたら」と語った。

 離島の大島高からのプロ入りを掴む転機は中学3年生の時にあった。高校進学に向け、島外の強豪私立高校へ進むことを考えていた大野に、中学時代もバッテリーを組んでいた西田心太朗が声をかけた。「大島でバッテリーを組もう」。西田だけでなく、子どもの頃から一緒に汗を流していた友達も大島に残るという。腹は決まった。大島に残り、仲間と甲子園を目指すことを決断した。

 プロへの道を切り拓いた大野は「そこが一番の転機というか、節目じゃないですけど、一番のキッカケだったかなって思います」と振り返る。「小さいときに島でずっと走り回って遊んでいたのが、今のスタミナに繋がっている」。大島の大自然と仲間たちとの絆によって、プロ野球選手・大野稼頭央は生まれた。

 もう1人、大野にとって感謝を忘れない人がいる。11月に亡くなった元ロッテの村田兆治さんだ。中学3年時に長崎・対馬で行われた、村田さんが創設を提唱した「離島甲子園」。この大会に大野も出場し、全4試合で完投。チームをベスト4に導き「離島甲子園で自信がついて、自信を持って高校野球に入っていけた」と振り返る。

 村田さんとは、その時の野球教室の中で会話を交わした。「ピッチャーのこと、技術面だったり、マウンドでの心構えとかを教えてもらいました。とにかく自信を持ってマウンドに上がる、というのはすごく印象に残っています」。村田さんの座右の銘は「人生先発完投」。村田さんからの教えも胸に、先発完投ができる先発投手を目指す。

「18年間ずっと島で育ってきて、島の人たちも応援してくれていますし、今から野球を始める子、野球をしている子どもたちに、島からでもこういうふうに活躍できるんだよっていう姿を見せられるように頑張りたい」。ここまで育ててくれた大島のためにも、プロの世界で大野は大輪の花を咲かせてみせる。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)