甲斐拓也には「逃げ道がなかった」 責任を“全て”背負った日々…吐き出せなかった弱音

入団会見で意気込みを語る巨人・甲斐拓也【写真:小林靖】
入団会見で意気込みを語る巨人・甲斐拓也【写真:小林靖】

高谷バッテリーコーチが語る甲斐の思い出…移籍は「寂しいけど頑張れ」

 逃げ道はなかった。推察ではあるものの、ともにホームベースを守ってきたからこそ、わかる感情だった。

 甲斐拓也捕手は昨年12月、国内FA権を行使して巨人に移籍した。ホークスで14年間を過ごし、ゴールデングラブ賞に7度輝くなど正捕手として君臨してきた。思い出を語ったのは、高谷裕亮バッテリーコーチ。忘れられないのが2021年、苦しむ後輩の姿だった。「話す相手もいなくて、逃げ道がなかった」――。

 移籍が発表されたのは、12月17日。その前日に、高谷コーチも電話で報告を受けた。「『ジャイアンツさんの方で、お世話になることを決めました』と連絡が来ました。僕からは『正直、一緒にやってきて寂しいけど、頑張れ』って」。FA宣言から1か月以上が経ち、「(昨季は)最後に日本一も逃してしまいましたし……。そういうのもあって、あそこまで発表が遅くなったのは相当悩んでいたんだろうな」と、揺れる胸中をおもんぱかった。

 2017年、甲斐は103試合に出場してブレークする。頭角を現した後輩を「ものすごく負けず嫌いだし、勉強熱心」と振り返る。中村晃外野手は「言い合う声が聞こえてきた」と、首脳陣と怒声を飛ばしながら意見をぶつけあった場面を目撃したことを明かしていた。高谷コーチも「そうやってもがいていた。悔しい思いをしたからこそ、拓也の背中は見ていました。僕もそういう経験をしたから『わかるわ』って話をしながら」と、“目撃者”の1人だ。悔し涙も、何度だって見たことがある。

 高谷コーチは“抑え捕手”とも呼ばれ、甲斐を支えてきた。同じポジションなのだから、常に比較される存在でもあった。「チームを勝利に導くということに関しては、向かうところは同じじゃないですか。最後、みんなで優勝したい気持ちは同じでしたから」。定位置を争うライバルだったがアドバイスも惜しまず、ベンチでも頻繁に意見を交換した。「どう見えますか?」「これはどうですか?」。お互いに多くのキャッチャーと出会ってきたが、2人にしかない関係性が確かにある。

 印象的なのが、2021年。チームは4位で、5年ぶりのBクラスに沈んだ。甲斐にとっても周囲からの重圧と逆風を特に感じていた時期で、中村晃も「特にキツそうだった」と苦しむ正捕手の姿が記憶に刻まれていた。推察ではあるものの、高谷コーチにはその理由がわかる。

「僕、前半(1軍に)いなかったんですよね。リハビリをしていたので。チームの成績がね、(上位に)持っていけなかったというのはすごく感じていたんじゃないですか。僕が言うのもあれですし、自意識過剰なところがあるのかもしれないですけど、話す相手もいなくて、逃げ道がなかった。『どうしたらいいですか』っていう場所が、もしかしたらなかったのかもしれないです」

 高谷コーチは2020年11月に左膝を手術。翌2021年は開幕を1軍で迎えたが、状態は思わしくなく、4月5日に登録抹消された。8月13日に再昇格したが、結果的に20試合出場に終わった。甲斐は全143試合に出場したものの、勝敗の責任を重く背負い、吐き出す相手もいなかったのではないか――。「逆に言えば彼の成長にも、絶対に繋がったと思います」と言い切る。苦い経験をした分だけ、もう1度優勝を味わおうと努力を怠らなかった。悔しさが結実したのが、2024年のリーグ優勝だった。

 昨シーズンからは1軍のバッテリーコーチに就任し、甲斐を“使う側”になった。「あれだけ経験があるので、信頼していました。守備の技術に関しては、別格でしたから」と絶賛する。相手チームの情報を頭に入れて、投手とのコミュニケーションも絶対に欠かさない。「勝つか負けるか、それは相手がいることなんですけど、若い頃と同じでやっぱり勉強熱心でした」。若手時代の悔し涙を思えば、何倍も頼もしい存在になった。だから、巨人移籍に対する本音は「正直寂しい」だった。

 2025年、絶対的だった正捕手はもういない。「『拓也がいれば』っていうのは違うし、思ってはいけない。今いるキャッチャーに対しても失礼ですし、2025年型のホークスの戦い方を見つけないといけないです」。ともに戦った盟友は、新たな道を歩み出している。福岡と東京。場所も役職も違えど、これからもチームを勝利に導くとの思いは変わらない。

(竹村岳 / Gaku Takemura)