2025年が活動8年目となる。「僕が野球をやめても活動は続けていきたいと思うんですけど、誰か主力選手、できる選手がいればいいなと思っている」と“後継者”の存在は常に頭の片隅にあった。中村晃なりに考えていた中で、声をかけてきたのが周東佑京内野手だった。
「僕も何かしたいんですよね」
昨年9月、レギュラーシーズン終盤の出来事だった。いつもと同じようにロッカーで試合前の時間を過ごしていると「なんかそういう話になったんです。佑京から『自分もやりたいんですよね』って。もしよければ、一緒にやろうかっていうふうには言ったかもしれないです」と明かす。選手会長に就任したことで責任感が増していることは見ていてもわかっていたが、自ら手を挙げてきたことには素直に驚いた。
「何気ない会話でしたよ、普通にロッカーの中でしたし。みんながいるところで話していましたし。ピンクリボン活動を一緒にやるかはわからないですし、佑京が自分で『これをやりたい』というのが見つけられたらそれがいいと思うので。もし、タイミングが合えば一緒にやろうって話をしたんだと思います」
周東自身、2023年シーズンからヘルメットに「ピンクリボン運動」のシールを貼っている。昨年4月に母が天国に旅立ち「お母さんのこともあったし、もうちょっと稼げたらいろいろとできることがあったらしたいと。一緒に(晃さんに)相談していました」と語っていた。そんな後輩の姿には、中村晃も「自分だけじゃなくて、周りを引っ張ろうとする姿勢は十分、見えましたし、一生懸命やっていました」と頼もしさを感じていた。
「初めて規定打席にも立てたし、選手会長でしたから。本人も多分、今までは思うような結果が出せていなかったと思うんですけど、去年は1年間、ある程度試合に出られたので。引っ張っていこうとする姿勢が結果につながっているんじゃないかなと思います」
鳥越氏も「ピンクリボン運動」を推進し続けたことで、実際に乳がんが見つかった人がいたと明かしていた。中村晃も「鳥越さんからそういう話があったと聞いて、1人でも助けになっているのなら、続けてきてよかったです」と反響は感じ取っている。事前活動が、自分自身の頑張る理由にもなる。一方で「そこは気持ちなので、少額でも何かできれば。『なくしていきたいんです』って、できるところから、です」と、大切なマインドは絶対に見失わない。
“引き継ぎ”が、具体的に進んでいるわけではない。「一緒にできたらいいなとは思うんですけど。そこはまだちょっと、佑京にも重く言うんじゃなくて、『どう?』って感じじゃないですかね。それで『やりたい』って言ってくれたら、話は進んでいくかもしれないです」。昨年12月の契約更改で周東は、6500万円アップの1億1000万円(金額は推定)でサインした。自分の頑張りが、誰かのためになる。その喜びを知っているから、中村晃も手を差し伸べ続ける。