山川と言えば、どんな時も練習を欠かさない“努力の人”。日本シリーズを終えた翌日も、みずほPayPayドームでトレーニングをするなど、本人は野球を「生活の一部ですから」と表現する。誰もができないことを継続してきたから、今の地位があるのは確かだ。iPitchやトラジェクトアークなど、球団は次々と最新鋭のマシンを導入しながら、若手たちの育成に努めている。現代らしいムーブメントに対し、「否定するわけではない」と言いながらも、山川は首を傾げた。
「たとえば、その取り組みの答えが来年、出るわけではない。5年先、10年先にならないとわからない。これで笹川(吉康)とか廣瀬(隆太)の方が僕たち以上の成績を残していたら、彼らの勝ちですよね。僕たちの方が残していたら、それはこちらの勝ち。それも勝負ですよ、数字なので」
小久保裕紀監督は昨年10月の就任会見で「“古き良きもの”と“古臭いもの”をしっかり選別して、選手に伝えていきたいと思います」と表現していた。山川自身も若手時代、日が暮れるまでノックを受け、守備を鍛え上げた。「バッティングのことなんて言われたことないです」。どれだけ時代が進もうとも、変わらない大切なものがある。指揮官の言葉を借りれば「古臭いもの」かもしれないが、通算252発のスラッガーを作り上げてきたのは、圧倒的な努力だ。
「王会長が一番すごい数字を残されたじゃないですか。会長は素振りをされていましたよね。これはちゃんと書いてください。僕は、ですよ。素振りが一番いいと思っています。絶対に古き良きものがあります」
通算868本塁打のアンタッチャブルレコードを残した王貞治球団会長は下積み時代、バットの代わりに真剣を手に取って、必死に振った。1993年に巨人へ入団した松井秀喜氏に対し、当時の長嶋茂雄監督は「4番1000日計画」と銘打って指導。日本を代表する主砲に育てあげた。松井氏は現役引退会見で、一番の思い出に「長嶋監督との素振り」と答えるほど、2人だけの時間は宝物だった。基本を信じ続けた選手が結果を残せることは、時代が証明している。だから山川も、「素振りが一番いい」とキッパリ答えた。
11月3日に2024年シーズンが終わり、選手それぞれが自主トレを行なっている。山川はチームメートにオフの過ごし方を「聞きまくった」といい、ヒントを得たのが今季限りで現役を引退した和田毅さんの言葉だった。「ちょうど和田さんと話す時間があったんです。和田さんが走っている量を聞いたら、引くくらい走っている。40歳を超えてやっている人はそれくらいやらないといけない。そういうのにはチャレンジしてみたい」。何年も信じてきたものだが、またしても基本が大切なんだと、ベテランの経験談から思い知った。
「工藤(公康)さんと話をした時も走っていたと、秋山(幸二)さんも走っていたと。みんなが走っていたというのなら僕も走ってみようかなと。来年の数字を出すのも目標ですけど、その先も長くやることを目標として持てたら」
2024年、レギュラーシーズンでは全143試合で4番に座った。来季も「それはこだわります」と即答する。プロ野球は勝つだけではなく、ファンを魅了しないといけない。そんな理想を掲げる山川は、憧れの1人に長嶋茂雄氏の名前を挙げたこともある。勝つために主砲の打順を動かすのではなく、自分がどっしりと座った上でチームが勝つことが最大の理想像だ。「価値観が変わってきている時代ですけど、古き良き4番でありたい気がします」。言葉からはやはり、自信だけが滲んでいた。
何歳まで現役でいたい? そんな純粋な問いに「本当は死ぬまでやりたいですよね。1日も欠かさず、ほぼ野球をやってきたので。ずっとやっていたいです」。34歳を迎える2025年。簡単に揺らがず自分を信じていられるのは、山川穂高が誰よりも練習しているからだ。