甲斐は今季がプロ14年目。通算7度のゴールデン・グラブ賞、2021年の東京五輪や2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一を経験するなど、ホークスを代表する捕手としてチームを引っ張ってきた。11月13日に国内FA権の行使を宣言。「大きな決断になると思いますけど、色々な話を聞いてみたい」と話していた。ギリギリまで悩み続け、巨人という決断を下した。
栗原にとっては、シーズン中からずっとお世話になってきた存在。「お兄ちゃんのような存在でしたし、ホームでも遠征先でも常に一緒にいました。ご飯に行くのも一緒で、いるのが当たり前みたいな感じだったので、寂しいですね」と別れを惜しんだ。家族ぐるみの付き合いで関係性はすぐに深まった。残留か移籍か、大切な先輩が思い悩む姿もそっと見守ってきた。
16日、甲斐から電話があった。「(本人が移籍を)決めて、ニュースが出る前に知らせてもらえたのも嬉しかったです」。内容については「それは色々です」と詳細は明かさなかったが、そこで移籍を決めたことが知らされた。FA宣言以降、栗原からかけていた言葉を問われると「全然ないです。それはもう甲斐さんが頑張って取った権利なので。僕から言えることは何もないです」と首を横に振る。その上で、心からの本音も伝え続けていた。
「ただ、『行かんといてくださいよ』とは言っていました」
甲斐がFAを宣言して1か月以上が経っていた。「色々と話はさせてもらいましたし、聞いていました」と、先輩の言葉に耳を傾けていたそうだ。栗原も10日から優勝旅行でハワイに行き、16日に帰国したばかり。「ここ何日は、そんなには連絡は取っていなかったです」と言うが、電話で移籍を知らされ、受け入れるしかなかった。
栗原は2022年3月30日のロッテ戦(ZOZOマリン)で左膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負った。病院で受診して、翌31日に診断結果が出た。もう1度グラウンドに立つまでに、壮絶なリハビリを乗り越えなければならない。失意の底にいた時、届いたのが甲斐からのLINEだった。
「全力プレーの中ではあったけど、時間を戻せるなら戻したいだろう。たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人にお世話になって、必ず戻ってこい」
1年後、2023年3月31日のロッテ戦(みずほPayPayドーム)。本拠地で迎えたシーズン開幕戦で、栗原は1号3ランを放ち、試合を決めた。辛かった日々と真っすぐに向き合うことができたのも、大好きな先輩の言葉があったから。ダイヤモンドを回りながら、1年前に「1人で泣いたのを思い出しました」と明かしていた。甲斐自身も「怪我なんかもちろんしたくないに決まっているんで……。悔しいに決まっていますし、そういう感じで送りはしました」と、優しさゆえに届けた思いだった。
リーグは違えど、一緒に戦ってきた先輩はこれから倒していかないといけない相手となる。「もちろん嫌ですけど、楽しみでもありますね」。栗原自身も、プロ入りした時は捕手登録だった。ミットを置いて、他のポジションで勝負する決意をしたのも、甲斐拓也という壁が高かったからでもある。「甲斐さんがやっていることはとてつもないですし、到底、僕には無理だと思います」と、どこまでもリスペクトの思いは続いた。大好きな「お兄ちゃん」と過ごした日々は、全てが大切な宝物だ。