本多コーチ断言、周東の姿が今宮に“重なる” プレーに直結せずも…選手会長が担った重責

本多雄一内野守備走塁兼作戦コーチ(左)、周東佑京【写真:冨田成美】
本多雄一内野守備走塁兼作戦コーチ(左)、周東佑京【写真:冨田成美】

本多コーチが驚いた周東佑京の言動…先輩選手への“声かけ”「自分で考えた言葉を」

 惜しくも日本一は逃したものの、4年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた2024シーズン。キャプテンを置かなかったことで、選手それぞれが自身の仕事を最大限に全うした。その中でも今季から選手会長を務めた周東佑京内野手にかかる負担は人一倍大きかった。

 周東は今季123試合に出場し、キャリアハイを更新した。打率.269、2本塁打、26打点。41盗塁を記録し、盗塁王にも輝いた。さらにはゴールデングラブ賞とベストナインにも選出された。輝かしい成績以上に、初めて選手会長として迎えたシーズンは大変なものだったはず。必死に役割を果たそうとする姿は首脳陣の目にはどのように映っていたのだろうか。本多雄一内野守備走塁兼作戦コーチが明かす。

「彼は、膝のこともあったし、選手会長になって自分の役割以外のことに結構気を遣う場面が多かったのかなっていう風に見ていました。本人がどう思っているかどうかわからないですけど」

 本多コーチ自身も2012年、2013年シーズンで選手会長を務めた。重役を全うする中で難しいと感じることが幾度とあった。「少なからず僕も同じ経験をして、やっぱり年上に言いづらい部分って正直あったんですよ。色々気遣うっていうことも。選手会長が偉いわけではなくて、立場上、チームが勝つために考えないといけないっていうところはあると思うので」。肩書きを与えられているとはいえ、“先輩への声かけ”には慎重になり、葛藤も抱きながら役割を果たしていた。

 一方で今季の周東は、本多コーチ自身が経験した難しさを感じさせない言動を見せていたという。「佑京はしっかり自分で考えた言葉だったりを先輩に伝えたりしていた。後輩に伝えることはできるんですけど、一番難しいところはそこなので。キャプテンがいない中、選手会長が先頭に立ってやる姿を見ると、よく人に気を遣えていたと僕は思いましたね」と、目を細める。グラウンドの上だけではない。選手同士の間に立ち、チーム全体を見渡しながら行動する姿からは、大きな成長を感じた。

 選手会長を務めることで、これまでとは勝手が違うことも多くある。球団の職員やスタッフと会話する機会が増え、野球以外で請け負わなければならない役割も多い。「僕は年齢以上にすごく重圧は大きかった。ビールかけでいい思いができた一方で、人が率先して進みたくないところもやらないといけない」。選手会長の経験が今後どう生かされるのか――。野球のプレーに直接、好影響を与えるようなことは「正直ないです」と本多コーチは即答する。その上で、こう続けた。

「僕が選手会長をして感じたのは、1人の社会人としての挨拶だったり、節度のある会話です。チームを引っ張っていくというキャプテンシーは、誰もが持てるわけではないので。人から選ばれることもあるでしょうし、自分から進んでキャプテンやりたいっていうこともあるでしょう。ただ、やる以上は失敗を恐れずにやるしかない。そうするからこそ、自分の割り切りというか、そこは身につきましたよね。人生において選択を決断する勇気というか、そういう面では選手会長をやって良かったなって思います。今後に生きる経験っていうのは、そういうところだと思います」

 キャプテンや選手会長、先頭に立つという役職は、選ばれた者にしか経験できない。決断の連続は、自分の感性を磨き上げ、時には気持ちを強くしてくれた。重役を終えた時、手元に残っているものが貴重な財産となる。伝統を受け継いできたバトンは、何度もホークスのリーダーを作り上げてきた。

「例が今宮健太(内野手)ですね。佑京が選手会長になった時に、彼の存在は大きかったと思います。佑京が頑張る中で、健太が前に出るのではなく後ろからサポートや声かけだったりっていうのは、選手会長を辞めても自然と上の立場を考えることができるから。それは佑京自身もメディアで、『今宮さんの存在が』って言っていた。まさにその通りだと思うし、そうやって経験してきた人は、辞めても(肩書きがなくなっても)自然と上の立場のことを考えられるようになる。中村晃(外野手)しかり、柳田(悠岐外野手)もそうです。チームを引っ張っていくには、そういった経験と、それが終わってからの人柄が大事なんじゃないかなと思います」

 ホークスを引っ張るベテラン選手たちも“リーダー”の立場を背負ってきた。その繰り返しがチームを強くする。選手会長という重責は周東の人生においても、今後のホークスにとっても大きな意味を持つことは間違いない。

(飯田航平 / Kohei Iida)