右肩の状態はまさに「綱渡り」の状態だった。9月4日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム)で右肩の違和感を訴え、緊急降板した松本裕樹投手。これが今季最後のマウンドとなった。あれから3か月。右腕は当時の状況をありのままに振り返った。
12月8日、北九州市内の大型商業施設で行われたトークショーに参加した。何度も笑みを浮かべるなど、シーズン中とは全く違う表情から回復ぶりは見て取れた。来季の目標に「球速160キロ到達」を掲げ、守護神のロベルト・オスナ投手に“挑戦状”を叩きつけるなど、その口ぶりからは確かな自信がうかがえた。
10年目の節目を迎えた今季は50試合に登板して2勝2敗23ホールド14セーブ、防御率2.89。セットアッパーに守護神と大車輪の働きぶりだった。一方で、シーズン最終盤で戦線を離脱し、リーグ優勝の瞬間に立ち会うことはかなわなかった。日本シリーズでは自身の不在が響き、チームはあと一歩で頂点に届かなかった。忘れられるはずもない「9・4」を右腕はどう消化したのか。
「ブルペンで投げてみて、球場のマウンドに上がってみて、アドレナリンが出て……。それで『どうかな』くらいの状態ではあったので。その前の試合もマウンドに上がって何とかなったっていう部分があったので。あの日(9月4日)も、それでいけるかなというところでしたね」
当時、倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)が明かしたのは、右肩の疲労による張りは1か月以上前の8月ごろから現れていたという事実だった。松本裕も「綱渡りのような感じというか、もうマウンドに上がってみなければ分からないというところではあったと思います」とギリギリの状態であったことを認めた。
日本シリーズでは自身が不在となった穴を埋めるべく、尾形崇斗投手や岩井俊介投手が懸命に腕を振ったが、打ちこまれる場面もあった。「シーズン中にやっていなかったことを、みんなにやらせてしまったなと思いました」。真っ先に沸いてきた感情は、あの舞台に立てなかった悔しさではなく、チームメートへの申し訳なさだった。
思い返せば、9月4日の試合後も右腕はこう語っていた。「本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした」。3点リードの9回に登板した松本裕が先頭に四球を与えて降板すると、後続の大山凌投手、岩井俊介投手が相手の勢いを止められず、この回一挙6失点で痛恨の逆転負けを喫した。松本は自らの右肩のことよりも、後輩に大きな負担をかけたことを悔いていた。それは、オスナの離脱で守護神を任されていた男の責任感にほかならなかった。
現在はノースロー調整中だが、「チェックの段階では、ほぼほぼ痛みは出ていない状態」で、今月中旬にはキャッチボールを再開できる見込みだ。すでに来季に合わせたプログラムを組んでおり、「その通りにやっていけば、キャンプ中にはピッチングにも入れると思う」と2025年シーズンの開幕を万全の状態で迎えられる算段はついている。
「1年間離脱することなくっていうのは前提としてやっていかなきゃいけない。とにかく結果を出すこと。それだけです」。今シーズンを最後まで戦えなかった悔しさを晴らすべく、右腕は一歩ずつ着実に歩みを進めていく。