笹川吉康を「なんとかしろ」 小久保監督から直々指令…明石健志氏が“転身”した舞台裏

ソフトバンク・笹川吉康(左)と明石健志氏【写真:竹村岳】
ソフトバンク・笹川吉康(左)と明石健志氏【写真:竹村岳】

2年間の2軍打撃コーチからR&Dに転身…明石氏が語った“親心”

「吉康をなんとかしろ」――。2022年秋、現役引退後すぐに2軍打撃コーチへと転身した明石健志氏が「コーチになった時、小久保(裕紀)監督から初めに言われました」と振り返ったのが、冒頭のセリフ。当時2軍を率いていた小久保監督から直々に託された“指令”だった。

 横浜商から2020年ドラフト2位で入団した笹川吉康外野手は、高卒3年目の昨季も2軍でなかなか成績を残せずにいた。しかし、明石氏は「振れる子やったんで、まずはバットにボールを当てる感覚を掴めばいいと思いました。“当て感”を探して、ハセさん(長谷川勇也R&D担当)にも話を聞いたりしましたね」と振り返る。“至上命令”に応えるため、日々奔走した。

 様々な専門部署の意見に耳を傾け、笹川ともコミュニケーションを取りながら試行錯誤した。明石氏は昨年12月、米シアトルのトレーニング施設「ドライブライン・ベースボール」に派遣され、最先端の練習方法などを学んだ。帰国後すぐに笹川にも練習ドリルを処方した。常に寄り添い、共に考えてきたが“強制”することはなかった。「まずは自分の思ったことをやれ」と、選手自身の感覚を尊重した。

 フルスイングが魅力である分、空振りも多かった笹川だが、明石氏の考えは一貫していた。「確かに多かったですけど、『三振しろ』とも思っていました。別に本人には言ってないですけど、三振したとしても、そこから成長すればいい。なんでそうなったのかとかは考えますけど。今の形だったらいいかな、とか」。目先の結果にこだわることなく、その先を見据えていた。

 すぐさま成果が出なくても心配していなかった。「やる気というか、取り組みが良かったから。ある意味すんなりじゃないですけど」。笹川自身が懸命に打撃と向き合っていることは知っていた。むしろ「考えすぎですよ」というほどの姿勢だった。

 二人三脚で取り組んできた中で、怒ったことは1度もない。ただ、迷ったことはあった。「バッティング練習をしていた時に、手を抜いているとかじゃないけど、振っていても適当っていうか……。迷いながらやっているのはわかったんです。『それだったら打たんでええよ』『これで練習してても意味ないから』と言おうかなと思ったんですけどね。結局、言わなかったです」。

 そっと見守ったのには明確な理由があった。「止めさせるのは簡単だから。その中で何かを見出そうとしているのがわかったので。我慢と辛抱です」。

ソフトバンク・笹川吉康【写真:竹村岳】
ソフトバンク・笹川吉康【写真:竹村岳】

 明石氏の“親心”は当然、伝わっていた。R&D(リサーチ&ディベロップメント)への転身を、笹川は他の選手からの“噂”で知ったという。「1軍でも2軍でもいいから、コーチをやってほしいなと……。でも、明石さんが考えられた上での決断だと思うので。R&Dは多分、(1~4軍を)巡回すると思うし、2軍でも1軍でも会う機会はあるはずなので。明石さんの考えを信頼してます」と笑みを浮かべた。

 絶大な信頼を寄せてきたコーチがいなくなることにショックを受けているのかと思いきや、笹川自身も何かを悟っていたようだ。「去年から一緒にやってきて、今年もちょくちょく相談していたんですけど。ここからは自分で掴まなきゃいけないので。いくら教えられても、自分で掴まないとやっていけない。多分それも見据えた上で、今年はあまり(言われなかった)。自分で考えるというか、本当に練習のサポートをしてくれるっていう感じで。巣立ちじゃないですけど、明石さんがいつまでもいてくれるわけじゃない。自分でやってかなきゃいけない」。“親離れ”の時を感じていた。

 そう言えるようになったのも、笹川に自信が付いた証だろう。「昨年までだったら、どうやってバットに当てていくかみたいな。当てることもできてきたし、あとはもう自分で考えてやるしかない」と語る。

 言葉に力強さが増したのは、1軍経験が大きかった。5月に初昇格しプロ初安打、初本塁打を放った。その後は2軍で過ごしたが、ポストシーズンで再昇格。日本シリーズではスタメンに抜擢され、安打を放つなどインパクトを残した。

 明石氏も「1軍に出られたのがデカイっすよね。そこから伸び率的にも2個、3個、“飛び級”したというか。やっぱり2軍止まりじゃ(成長も)手詰まりになってきますよね。(初昇格が)今年っていうのも良かった」とうなずく。お互いに今年が「親離れ」する絶好のタイミングだったと感じている。明石氏としては、小久保監督からの指令にしっかりと応えられた2年間だったのではないだろうか。

 笹川にとって、明石氏は今なお特別な存在だ。「ありがちな表現で言うなら、お父さん。でも、お父さんはいっぱいいるんです。荒金(久雄)さん(コーディネーター)もお父さんだし、(横浜商高時代の監督である)李(剛)先生もお父さん。明石さんはお兄ちゃんとはちょっと違うし、義理の兄!?」と笑った。

 来季はコーチと選手の関係ではなくなる。しかし、明石氏は「むしろより深く話したりできるんで。僕がまずそれを理解しない限りは、そのうち手詰まりになる。それだとお互いに困るので。しっかり人に言うってことは、こっちもそれなりの知識がないといけないし。それだけっすね」と言い切った。

 コーチ職から離れるのは、より選手のための存在になることへの決意の表れだった。明石氏も新たなスタートに意欲を見せ、笹川も今年の飛躍を来季に繋げる覚悟だ。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)