今月下旬からはノースロー調整を始めた。体に痛みはなくとも、投げることから離れる決断を下した。その選択肢を与えたのが斉藤和4軍監督だった。「最後はお前が決めたらいい」。マウンドから遠ざかっただけではなく、今度は白球からも離れることにした。指揮官は板東とのやり取りを明かした。
「単純に、1年間苦しんでいたからね。ずっと地道にいろんなことをやっていても、なかなか上手くいかなかった。一生懸命にこのままずっと投げていてもいいけど、来年に向けて一旦離れてみるのもいいんじゃない? と。悩み抜いて、脳みそを使いすぎているくらい。1回リフレッシュさせたらどうや、と。球場に来るのさえ苦痛なところもあったと思うし、本人も『そういうこともありました』と言っていた。そういうのは見ていたらわかる。俺もそういう体験をしたからね」
今月上旬、板東は首脳陣と意見を交わした。告げられたのは、ポストシーズンも含め、2024年の1軍登板はもうないという旨だった。斉藤和4軍監督も「時期的にもCSとか日本シリーズは(登板がない)……というのは本人もわかっているだろうし。そこらへんの話もハッキリとした」と明かす。「シーズン中だったらやり続けないといけないけど、もう終わってしまったんやから、追い込まれる必要もない」。現状はしっかりと受け入れる。その中で、1軍の登板予定がないのなら自分のことだけを考えてもいいのでは――。そう思い、ノースロー調整を提案した。オフになったからこそできる選択だった。
「自分で追い込める子やから。それなら1回ボールから離れて、リフレッシュさせて。また新たにスタートを切るために、脳みそにスペースを作ったらどうや、って。何日間ノースローにするとか、そう自分で決めた瞬間に本人の中で何かホッとしたものがあるかもしれない。あとは、他のトレーニングにも集中できる。登板した後って、投げたことがずっと頭にあるから集中できなかったりする。それなら今まで投げていた労力を、ちょっとトレーニングや体と向き合えるように。そのスペースを作れたら」
右腕が今季記録した最速は145キロだった。指揮官も「メカニック的にズレているからこうなっている」と、技術的な視点での指摘も忘れない。「『秋のキャンプである程度投げたいんやろ?』って言ったら、『投げたいです』って言うから。キャンプが始まる前の1週間くらい、思い切っていろんなことを試してみる。今しかできないから」。ノースロー調整によって得られる最終的な効果は当然、投げる球に表れないといけない。目標を見失っていないからこそ、何度も言葉を交わし、一緒に最善策を探してきた。
「フェニックス(リーグ)も、ある程度メンバーが絞られているわけで、また違う気持ちで(板東は)ここにいる。キャンプにそういう形で行きたいのであれば、(筑後での)居残り練習でもいろんなことをやれ、と。コーディネーターとかコーチとも話し合って、言いにくいなら俺から話もしてやるし。もっとわがままにやれ、というのは伝えている」
板東の人柄も、よく知っている。真面目で練習から手を抜くことがないからこそ、「わがまま」になってほしかった。「板東に関しては特に、誰よりも悩み抜いて、黙々とコツコツやっているのを見てきたからね」。現役時代には2度の沢村賞を獲得するなど、輝かしいキャリアを積んだ斉藤和4軍監督。今は指導者として、自分自身の経験を伝える言葉が、選手の力に変わってほしい。「『選択するのはお前やで』って伝えている。考えて自分で前に進まないと、掴んだものが自信にならないからね」と、続けて強調した。
今季から4軍監督を託されているが、昨シーズンは1軍投手コーチとして板東と接してきた。「だから余計に気になるし、今年も接点がないといっても、4軍の練習にも来るからね。(2軍が)遠征に行っている時とか、ここで会うこともあったし、ピッチングを見たこともある」と振り返る。筑後で練習をして、顔を合わせれば自然と言葉を交わした。「俺も2軍の映像を見たりもするし、板東とその話をしたりもするから」。管轄外である時も、コーディネーターを通して指導の統一を図ってきた。そこにある斉藤和4軍監督の思いは、優しい“親心”だった。
「秋のキャンプで一気に良くなるんじゃなくて、来年2月のキャンプ。そこまでの時間やと思わなあかん。2月1日までにどういうものを作り上げていくのか。それくらい余裕を持ってやらないといけない。欲張ったらあかんからね」。短期的であると同時に、長期的な視点が必要だと繰り返した。静かな筑後の秋。いろいろな人の力を借りながら、一歩ずつ進む。