西田哲朗広報の“優勝ノート”…全てが終わった午前2時30分 周東佑京のために加えた工夫

西田哲朗広報が優勝対応について一連の流れをまとめたノート【写真:竹村岳】
西田哲朗広報が優勝対応について一連の流れをまとめたノート【写真:竹村岳】

9月22日の楽天戦は13時開始のデーゲーム…大阪に移動して優勝が決まる可能性も

 4年ぶりのリーグ優勝を果たしたホークス。鷹フルでは若手からベテラン、裏方さんの1人1人にスポットを当てて、1年を振り返っていきます。今回は、西田哲朗広報が2度目の登場です。広報の視点から見たリーグ優勝。「なんだかしんみりしました」という瞬間があったそうです。取材を受ける中で、周東佑京内野手にあえて加えていた“工夫”。「心に響いた」という小久保裕紀監督の言葉など、チームの裏側を赤裸々に語りました。

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 9月23日のオリックス戦(京セラドーム)。優勝へのマジックナンバー「1」で迎えた一戦に勝利して、4年ぶりのリーグ優勝が決まった。西田広報もスタッフに転身して4年目。「嬉しかったですよ」と率直な思いを語る。しかし、忙しくなったのはここからだった。「自分が先頭に立ってやらないといけなかったので」。優勝という最高の瞬間を彩るために、球団側の準備も壮絶なものだったようだ。

 22日の楽天戦(みずほPayPayドーム)を、マジック「2」で迎えた。13時開始のデーゲームに勝つと、チームは大阪に移動。2位・日本ハムの結果を待つ形となったが、18時開始のナイターだっただけに、新幹線の車中で優勝が決まる可能性があった。結果的に日本ハムが勝利したことで、優勝は23日になったものの、さまざまなパターンを想定して、備えておく必要があった。西田広報はゲームセット後の胴上げ、記念撮影、セレモニーの段取りなどを、日にちごとにノートにまとめていた。

「優勝後のセレモニーだったり、毎日シミュレーションしていました。大阪のパターン、福岡で決まるパターン、1日1日ちょっとずつ変わっていくんです。写真撮影の並びだけでも、孫(正義)オーナーが真ん中で、その横は(小久保裕紀)監督、(周東)佑京だとか。選手の配置だけでも細かく決めていたんです」

22日、日本ハムが敗れていた場合の流れをまとめたページ【写真:竹村岳】
22日、日本ハムが敗れていた場合の流れをまとめたページ【写真:竹村岳】

 自分なりの工夫も加えた。胴上げをはじめ、京セラドームでのセレモニーを終えた後、チームは宿舎に移動した。共同記者会見、ビールかけが終わると、主力選手はテレビの取材対応に向かう。これが、最後の仕事。テレビ6社に球団公式を加え、7つのブースを時間ごとにぐるぐると回した。甲斐拓也捕手と栗原陵矢内野手、柳町達外野手と正木智也外野手らが“コンビ”となって取材を受ける中、周東佑京内野手だけは選手の中で唯一、単独で1時間を超える取材を受けていた。西田広報が明かす意図とは――。

「最後のテレビブース回しも、周東だけは1人にしたんです。2人やったら掛け合いで(映像も)面白くなるんですけど。優勝して、1年間どういう思いでやってきたのか。選手会長として、1人で考えて話してほしかったですし、その姿も(ファンの方々に)見てほしかったですよね。(選手会長に)就任して1年目での優勝というのも、なかなか味わえないと思うので」

 全てが終わり、西田広報が部屋に戻ったのが午前2時30分だった。「優勝が嬉しいというよりは、終わるまでは僕の中ではピリッとしていました」。食事もできていなかったため、少し外出して、空腹を満たしたそうだ。大阪出身の西田広報。歓喜から一夜明けた24日も「大阪に残ったんですよ。親にも報告したかったですし、お兄ちゃんのところにみんなが集まったんです」。スタッフではあるものの、優勝に貢献できたことを直接、家族に伝えられた。夜になり、1人でお好み焼きを食べている時に、ようやく実感が湧いてきた。

「その時に初めて、ですね。なんだかしんみりしました。やっと1つの目標が叶ったなって思えました」

 西田広報が印象に残っているというのが、3月29日の開幕戦。小久保ホークスは京セラドームで行われたオリックス戦で白星発進した。試合前、指揮官はチームの「全員」をブルペンに集めた。「プロフェッショナルとは何かという話だけさせてもらいます」。訴えたのは、替えがきかない人材になることの大切さ。選手に限らず、小久保監督はスタッフが果たすべき役割も細かく挙げた。その中にはしっかりと「広報」も入っていたから、改めて背筋が伸びる瞬間になった。

「監督の姿っていうのが、僕は一番印象的です。組織のトップである監督が、チームを引っ張っていました。本当にピラミッドみたいに綺麗にバランスが取れていました。それが今年のチームだったなと思います。開幕戦、京セラでの訓示がものすごく心に響きました。1年間、監督のもとで仕事を頑張っていく。プロとして、自分の信念を持ってこの仕事をやっていくんだ、と思いました」

 過去の経験も生きた。2022年は“あと1勝”というところから、リーグ優勝を逃した。優勝用の取材や、スケジュール管理なども完璧に済ませていたが、10月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)、幕張での黒星で全てが水の泡になってしまった。チーム宿舎で用意されていたビールかけ。入念な準備が報われないまま、片づけられていく様子は今でも記憶に残っている。「2年前にも優勝のシミュレーションは経験があったので、ある程度、今年も自信はあったんですよね。それは大きかったです」。2年越しに叶えられた夢。選手の笑顔を見られたことが何よりも幸せだった。

 現役時代にも日本一を経験したことのある西田広報。裏方として貢献したリーグ優勝は「これまでは“優勝していないチームの広報”としてやっていたので。優勝するチームの広報ができてよかったですし、やっぱり違いました」と格別だった。ファンの方々と同じように、チームを支えていた裏方さんにとっても、最高の瞬間だった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)