現役時代はエースとしてチームの勝敗を一身に背負い、第一線で戦った。今は3桁背番号の若鷹たちと過ごす日々で、何を感じているのか。シーズンも終盤に突入している9月上旬、斉藤和巳4軍監督を直撃した。「これはもしかしたら、俺はわからへんけど、指導者として間違っているかもしれない。俺の中では間違っていないと思うから、選手たちには言っているけど」。初めて背負う監督という肩書き。戸惑いと、変わらない信念を激白した。
通算79勝、勝率.775を誇り“負けないエース”と呼ばれた。沢村賞に2度輝きながらも、右肩の痛みに悩まされた現役生活でもあった。2013年7月に現役を引退。その後は解説者などを務め、2023年に1軍投手コーチとしてホークスに復帰した。そして、今季からは4軍監督に配置転換。若手たちと長時間のバス移動をする時もあり、「体的にはそりゃキツいけどね」と笑って語る。
同じ時間を過ごしているのは、ほとんどが育成の選手。まだ1軍の舞台に立つ資格がない若手に、斉藤和監督は「気持ちはわからんでもない」と言う。自分自身、1995年のドラフト会議で南京都高からドラフト1位指名を受けてプロ入りした。「入団当初の俺の気持ちを考えた時に……」。今を生きる若鷹と、自分の経験を重ねて振り返った。
「ドラフト1位で入ったとはいえ、年齢的には一緒やから。それを考えると、俺は出会いがあったり、気づきがあったり、そういうのを経験してきた。自信にもなったし、それは人に言われて気づくパターンもあれば、自ら気がつくパターンもあると思う。どんな状況でも気づければいい。気づいたもの勝ちやし、気づいたら行動したもん勝ち。それが全て結果に結びつくとは限らないけど、頑張ったけど結果が出ないことで諦めるっていう選手は、何をやっても苦しい時間が待っているだろうから」
斉藤和監督の才能も、急に開花した。20勝、勝率.870、防御率2.83で投手3冠に輝いた2003年は、プロ8年目のシーズンだった。当時を振り返っても「(プロ入りは)自分で選んだ道やし、好きで続けてきた野球。それに対して、人に野球が奪われる可能性がある世界やんか。せめて、そういう状況が来たとしても自分の中で精一杯やったっていう諦めがつく状況には持っていきたかった」。ユニホームを脱ぐ時に、少しでも後悔がないようにしたい。厳しい世界で抱いた危機感が、沢村賞投手を生み出した。
選手が持っている能力が、どんな形で結果に繋がるのかは、誰にも正確に予測はできない。明石健志2軍打撃コーチは、育成の現状を「何をしたらいいのかわからない選手に『意識を高く持て』というのも、難しいことなんです」と表現していた。一流が何なのか、3桁背番号の選手はそれがわからないという。斉藤和監督も「健志がいうように、それもあるかもしれへんね。俺も選手たちに言うのは、頑張っている、一生懸命にやっています、それは自信にすればいい」と同調する。ただ、それだけではいけないのも、事実だ。
「頑張るのは当たり前。野球じゃなくても、この先どんな職業をするかもわからないけど、それはどんな世界でも一緒。この仕事でお金をもらっている、お金を稼ぐ、稼ぎたいっていうのであれば一生懸命っていうのはなんの自慢にもならへん。課題に対してやっている。でも結果が出ない、数字に表れない。だとしたら手段が違うのか、もっと真剣に取り組めているのか、根本的なところをどれだけ見つめるか。それは選手にも伝えている。もっと追求していけって」
厳しい姿勢を強調した上で「じゃあこいつらが一生懸命やっていないかって言ったら、そうではない。一生懸命にやっているやつもいるし、頑張っている時もある」と頷きもした。野球と向き合う姿勢を、指揮官として見守っている。「結果が出ないから『違うな』って思わんといてほしい。なんでも続けないとわからない。ここにいるやつらは続けられへんから。その時の思いつきでやっている以上はあかんよ。何か目的がないと。ビジョンがないと」。自分を突き動かすものは、いつだって明確な目的意識だ。
今季から4軍制が導入されて、指導者数も増えた。ファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」には広い室内練習場や、最新鋭のピッチングマシンなど充実した施設が揃っている。育成だとしても、生かすかどうかは選手次第だ。「どういう時間を過ごせるのか。24時間、365日プロでありなさいっていうこと。プロじゃないんやけどね、育成は。ユニホームを着ているということはそういうことよ」。“プロじゃない”育成の選手に、伝え続けていることを明かした。
「実際に言ってるもん。試合が終わった後のミーティングで。『いつまでもこのユニホーム着ていられると思うなよ』って。でもその可能性を伸ばすチャンスは全てお前らの中にある。フォローは俺らはなんぼでもやるし、それは俺らの仕事。可能性を自分で引き出して結果に結びつけるのがお前らの仕事。全て、俺らが結果を出させてやるんじゃない。俺らは準備を一緒にする。厳しい状況でもね」
憧れだった世界に入ることはできたかもしれないが、最大の目的は1軍の勝利に貢献すること。「俺はわからへんけど、指導者として間違っているかもしれない。俺の中では間違っていないと思うから言っているけど『最後は自分ですよ』っていうのは伝えている。俺らはお前らの手伝いをする。頼まれたことはなんでもやる、お前らのことも考える、ただ最後は自分」。残暑も厳しいファームで、斉藤和監督は今、1人でも多くのプロ野球選手を生み出そうとしている。