18歳の頃から見てきた。進みたい方向と、気持ちが透けて見えたから、迷うことなく背中を押した。ソフトバンクは9日、武田翔太投手が横浜市内の病院で「右肘内側側副靭帯再建術および鏡視下肘関節形成術」を受けたことを発表した。復帰まで1年以上を必要とする手術だが「ポジティブな選択」と明かしたのが、倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)だ。手術に至るまでの経緯、2人の中でのやり取りを語った。
武田は1年目の2012年、7月にプロ初登板を果たすと、結果的に8勝を挙げる。そこまでの道のりを当時、3軍投手コーチとして見守っていたのが倉野コーチだった。「1年目から見ていますから。そういう面で武田の性格も他のコーチよりはわかっているつもりではあるし、付き合いは長いですよ」と関係性を表現する。2009年から始まった指導者としてのキャリア。決して多くはない、1年目から知っている選手の1人だ。
2022年から2年間、指導者としての“武者修行”のために米国で経験を積んだ。武田は2023年に主にリリーフとして29試合に登板。新しい可能性を示し、今季から再び選手とコーチとして再会した。「もちろん期待は大きかったです」と倉野コーチ。昨秋の就任からともに話し合い、中継ぎでの起用を決めるなど武田自身も「どうしたら選手がベストに近づくのか、そういうところを考えてくれています」と信頼を寄せる存在だった。右肘を手術することになり今季中の復帰は絶望的。武田の現状を、どのように受け止めたのか。
「僕はとにかく自分の野球人生を考えた時に後悔のないようにしなきゃダメだ、と思いました。いろんな選択肢があって『こういうふうにしたらこう』『これをした場合はこう』っていうのも2人で話をしました。僕の中では、本人の中では答えがあって、だけど一歩踏み切れなかったのがあって、僕が背中を押した感じに、結果的にはなったかなと思います」
手術する必要性へと傾いていく気持ちが本人から透けて見えた。だから「背中を押した感じ」になった。「本人が限界を、このままだと遅かれ早かれ……みたいなところが本人の中ではあった」と言う。察することができた思いを伝えられたのも、付き合いが長いから。この先のキャリアを考えるなら早い方がいいのでは、と倉野コーチなりの意見を伝えた。
今年の実戦登板は、3月5日のヤクルトとのオープン戦(PayPayドーム)、この1試合のみで2回1失点だった。この登板を終えると武田はすぐに倉野コーチのもとに足を運び、リハビリ組に行く決断をくだした。右肘手術を決断したのはこの時ではなく「手術の話はオープン戦中じゃなくて、この前に(筑後に)行った時ですけど。シーズンが始まってからも本人と話をしています」と明かす。話し合いを重ね、一緒に結論を出した。
武田自身も時間を要することをわかった上で「やめるのは簡単」と、本気で復帰を目指すと誓っていた。2022年から結んだ4年契約は2025年で終わる。復帰予定は来季中となるだけに、キャリアを考えても「このままだと終わる」と危機感を募らせていた。一方で、倉野コーチは「僕は(キャリアの)中間だと思いますよ」と言う。武田が野球への情熱を抱いているからこそ、このタイミングでメスを入れるべきでは、と自分なりの意見を伝えた。
「まだ10年野球をやれる可能性だってあるわけだから。先のことを考えるのであれば、不安を抱えながらやる、それで勝負していく手ももちろんあるんですけど。『どっちがいいの?』っていう話ですよね。自分の野球人生、これから先のことを考えた時に後悔のない選択をするべきじゃないかという話はしました」
2026年以降がどうなるのかは、今は誰にもわからない。武田自身がまだ勝負していたいと思っているのなら、倉野コーチは「かなりポジティブな選択だったと僕自身は思います。だから武田は、もちろんリハビリは大変ですけど、僕はいい選択をしたんじゃないかと、僕の個人的な思いです」と話す。指導者として、そして少しの親心も含めて、手術という選択が必ず今後に生きることを願っていた。
倉野コーチは真顔で「あと10年やれると思いますよ」と言い切る。その上で「武田投手次第ですか?」と問われると「もちろん、そうです」。武田翔太はまだ終わっていないと、倉野コーチも信じている。