「お父さんは『おめでとう』っていう感じで、お母さんは泣いていました」
電話口で母は泣いていた。4年間、待ち続けた朗報。育成4年目だったソフトバンクの緒方理貢外野手は、仲田慶介内野手、川村友斗外野手とともに、ついに支配下登録への切符を掴んだ。宮崎県出身の25歳。「キャンプとかフェニックスリーグで宮崎に行くことは結構多かったので、直接は言われていないですけど、試合も見にきてくれていた。良い報告ができたと思います」。支配下契約を報告すると、母は涙を流しながら喜んでくれた。
18日の昼過ぎ、球団の編成担当者からの電話が鳴った。まだ寝ていたという緒方は飛び起きて電話をとった。悲願だった支配下登録。電話を切ると、自室でガッツポーズして喜びを爆発させた。興奮冷めやらぬまま、すぐに両親へ報告の電話をかけた。「お父さんは『おめでとう』っていう感じで、お母さんは泣いていました」。母の涙に、緒方自身も込み上げるものがあった。
2020年の育成ドラフト5巡目で駒大から入団。大卒の育成選手ということもあり、ルーキーイヤーから危機意識は強かった。「1年1年が勝負だと思っていましたし、4年目で支配下登録されて、今は安心していますけど、本当にここからがスタートだと思っています」。一刻も早く支配下にならなければ、先は長くない。そんな思いを常に抱きながら、プロ生活を過ごしてきた。
1年目の2021年は2軍での公式戦出場もなかったが、2年目の2022年は2軍で68試合に出場。打率.259、1本塁打14打点をマークし、17盗塁でウエスタン・リーグの盗塁王にも輝いた。「自分的にも2年目である程度数字を残せて、いけるかなと思った」。自信を深めて挑んだ勝負の3年目。オフに一旦、自動的に自由契約になる節目の年に、支配下昇格への勝負をかけたものの、そんな自分への期待は脆くも崩れた。
迎えた2023年、緒方はウエスタン・リーグで50試合の出場に止まった。打撃の状態はなかなか上向かず、打率は.140と低空飛行。前年は17個を数えた盗塁も4個に終わった。「去年が一番苦しかったですね。正直、自分自身にガッカリしました。やろうとしたことが自分の中でできなかったというか、2年目に少し結果が出て、自分のスタイルを崩してしまったところが大きいかなと思います」。オフを迎えるにあたって、ある程度、“覚悟”もあった。
「去年で終わりかな、と思っていたところで、もう1年、契約してもらえた」。育成3年目が終わるタイミング。自分の中では戦力外通告を受けることも覚悟していたという。そんな中で、球団から提示された4年目の契約。ラストチャンスのつもりで、2024年を迎えた。
育成選手として過ごした3年間は辛く、苦しいものだった。何度も壁にぶち当たり、その度に心を折らせることなく這い上がってきた。「めげそうになったことは何回もありますけど、本当に自分が腐って終わるのは簡単なこと。それだけは絶対にしたくないと思っていました」。心に誓っていた“絶対に腐らない”という決意。先輩たちの言葉がそれを支えた。
昨年、そして今年のオフと緒方は牧原大成内野手の自主トレに参加した。同じ育成選手から支配下、そして侍ジャパンへと駆け上がった大先輩だ。厳しい言葉も投げかけられたこともある牧原大から数々の助言、心構えを聞いた。「牧原さん始め、いろんな先輩方に優しい言葉も、もっと頑張れという言葉もいただいて、それが大きかったと思います」。そんな先輩たちの言葉が、心の支えだった。
新たな背番号は「57」に決まった。これまで3桁の背番号を「恥ずかしい」と語っていた緒方、仲田、川村の3人。ようやく2桁になった背番号を見た緒方は「(3桁目の)『1』がないなって思いました。初めて2桁を自分が背負って、やっぱり嬉しいですし、またこれから頑張ろうと思いました」と率直な思いを口にした。ようやく立ったスタートライン。プロ野球選手としての勝負はここから始まる。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)