仲田慶介、緒方理貢、川村友斗が支配下登録…周東は5年前の3月に2桁背番号を勝ち取った
自分も通った道のりだから、気持ちは痛いほどに伝わっていた。必死な姿を見ていると、自然と自分の背筋も伸びた。ソフトバンクは19日、仲田慶介内野手、緒方理貢外野手、川村友斗外野手を支配下登録すると発表した。「スタートラインに立ちましたね」と手を叩くのが、周東佑京内野手だ。選手会長としてチームの先頭に立つ中で、3人の頑張りはどのように見えていたのか。
育成だった3人は、春季キャンプからA組に参加。そのまま2月をA組で完走すると、オープン戦でも順調に出場機会を重ねた。3月19日の発表は、小久保裕紀監督が「本番モード」と設定していた日。指揮官は「彼らのキャンプから取り組んできたことはチームにいい影響を与えてくれたのは事実です。心を打つものがありましたし、いい姿で野球をしていましたので。純粋に四球1つ、盗塁1つ、ワンプレーが直結するっていう。ずっと支配下だったら忘れている部分が、彼らはそういうふうにやってくれたなって思います」と貪欲な姿勢をしっかりと見ていた。
周東も3人の支配下登録を「シーズンも始まっていないですから、スタートもしていない。でも、スタートラインには立ちましたけどね」と喜ぶ。チーム全体を見守る選手会長の目線で、育成選手が与えていたものはどんなものだったのだろうか。
「そういう(泥臭い)姿を見せようとは思っていないと思いますけどね、そういう姿になるのは当たり前と思います。ああいう姿があるから僕らも頑張れる。もう1段階あげないとなって思いますし、悠長に1軍にいられるとは思わないというか、そういうのはあると思います。1球に対するというか、その一瞬一瞬に対して、(3人は)いい動きになっていたっていうのはあると思います」
支配下を目指して、一瞬に必死な姿を見せることを「当たり前」と語る。小久保監督が「ずっと支配下だったら忘れている部分」と表現した部分についても、周東は「忘れるというか、薄れることはあると思います。どうしても。シーズンが長いのもありますし、いろんなこと、先のことも見ないといけないですから」と同調した。2月から1か月以上、1軍管轄に育成選手を置き続けた。頑張りを見ていれば自然と情も湧き、手を貸したくもなった。
周東は2年目だった2019年3月26日に支配下登録された。キャンプからA組に参加していたが、オープン戦では11打数1安打。期待された足の面でも3度の盗塁失敗で成功率は0%だった。「上手くいかないというか、甘くないと思いました。そんなに甘い世界じゃないなって」。1軍にしかないパワーとスピードを肌で感じて、自分が乗り越えないといけない壁を思い知った。
「ついていけなかったですね。シートノックとかも最初はついていけなかった。スピードもそうですし、正確さも。それは1軍と2軍のギャップはめちゃくちゃ感じていました」
自分が育成だった時を振り返っても「やるのが当たり前でした。やらないといけない立場だったので、大変っていうのはなかったです」と、ここでも当たり前という言葉で貪欲な姿勢を表現した。5年前の自分と比較しても、仲田ら3人は、実力で勝ち取った2桁背番号だと周東も太鼓判を押す。
「僕も必死でしたけど、結果が伴っていなかったので違うと思いますよ。この3人は結果を出して勝ち取っていますから。そこは強いんじゃないかと思います。もちろん刺激も受けていましたし。川村もああやって結果を出して、緒方も仲田もキャンプ中から結果が出ていた。僕自身は結果を出そうとは思っていなかったですけど、結果を出さないとなっていうのは思っていました」
育成から支配下を目指した時代。プロとして栄光も挫折も味わい、今はチームを勝たせる立場にもなった。育成時代のようなハングリー精神を「大事だとは思いますよ、初心を忘れないっていうのは」としつつも「また違うんじゃないですか? 立場というか、その時とは違う気持ちだと思います。育成の時は支配下(になろうと)頑張ろうとは思っていましたけど、今はレギュラーになれるようにって思っているので、そこの考え方は変わってきていると思います」という。今季がプロ7年目。チームを引っ張り、秋の歓喜の中心にいたい。
キャンプ中から、選手会長として後輩の面倒を見ていたか問われると「見ていないです。見るとか見ないとかないですよ」と笑うのも周東らしい。その上で「川村もオープン戦2年目ですし、緒方も仲田もある程度去年2軍でやっていたので。自分のことに集中しようと思っていました」と言うのだから、誰よりも早く3人を“一人前”と認めていたのは、周東だったのかもしれない。
(竹村岳 / Gaku Takemura)