和田毅は昨年12月の契約更改で「育成の選手はプロ野球選手ではない」
大先輩に共感してもらえたことが、心から嬉しかった。ソフトバンクの牧原大成内野手が7日、久留米市内で自主トレを公開した。もう1度、自分だけの座を掴むために挑む2024年。新年一発目、言葉の矛先は後輩たちに向いた。契約更改の場、和田毅投手と“共鳴”した考えについて、熱く語る。「あとは信じて待つしかないですね」――。
2022年はキャリアハイの120試合に出場。打率.301を記録し、規定打席までも残り2打席と自分の地位を築き上げた。しかし2023年は故障離脱が2度あり、出場は91試合と減少。「自分の目標を達成できなかった。個人としてもチームとしてもくの残るシーズンでした」。課題を感じた部分を問われても「数字を見ればわかると思います」とキッパリだ。二塁で競争に飛び込むことも明言している。誰よりも熱い気持ちで、2024年を迎えた。
昨年の12月21日、契約更改の場で育成の選手に向けて苦言を呈した。「自覚持ってやらないと終わってしまうよ」。その4日後だ。今度は和田が「育成の選手はプロ野球選手ではないと自分は思っている。疑問に思うことはたくさんあります。本当に、贅沢だなと」と厳しい言葉を突きつけた。アマチュア時代から注目されてきた和田と、育成から這い上がった牧原大。経歴は全く違えど、若手に物足りなさを感じたのは同じだ。牧原大は和田の言葉を「嬉しかった」と言う。その真意を語った。
「その通りだと思います。僕だけじゃなくて和田さんが言ってくれたことが嬉しかったです。そう思っているのは僕だけじゃないんだとわかってよかったです。その発言をどう球団が受け取るのかはわからないですけど、あとは本当に育成の子たちが変わってくれるのを信じて待つしかないですね」
2010年の育成ドラフトで5位指名を受けてプロ入りし、支配下を掴んだのは2012年6月だった。当時のファーム施設は雁の巣にあり「ライン引きも、全部自分たちでやっていました」。水撒きにグラウンド整備、スタッフではなく3桁の背番号を背負った選手が行う。メディアの前で自分の思いをハッキリと口にするのも、華々しい1軍の舞台を誰よりも目指してきたから。当時、心にまで刻まれたハングリー精神が、今も自分の原点だからだ。
ファーム施設は2016年から筑後市に移った。場所が変わったことで環境も一変したが、選手の姿勢にも影響は及んでいると牧原大はいう。自分なりに考察する理由の1つが「メディアに出ることが多いので、勘違いしているのかなと思います。昔の雁の巣とは違って、筑後にはテレビが入ったりとかして、それは仕方のないことですけど。それで『テレビ出られてんだ、俺』って。そういうのもあるんじゃないかなって思います」と、1軍の実績がない選手でも注目を浴びることだと語る。
そして牧原大、報道陣に向かって「みなさん、控えてください!」と笑いを誘った。その上で「それはあの子たちのためでもあるので」と真顔で話す。和田は1軍と2軍以下のユニホームを明確に差別化することで、ハングリー精神を生み出す案を明かしていた。牧原大は「ユニホームはね、スポンサーとの兼ね合いもあるので……」と笑いつつ「意識とかって、自分1つで変えられますから」と、目に見える線引きはもちろん、一番大切なのは自分自身の志だ。
今年の10月で32歳となる。年齢的にも実績的にも、若手からの挑戦を受けて立つ側だ。「物足りなさ……そうですね。ありますね。でもそれは時代の流れなので、仕方ないんじゃないですか」と理解も示す。だが本音は「それで何も感じられない人間は終わっていくだけ。僕らからしたらやらなければやらないだけ終わっていく。競い合う相手がいなくなるので、それはそれでいい」だ。個人事業主であるプロ野球選手。自分の人生がもちろん大切だが、今のままではホークスのためにならないのではと感じている。
「ホークスの将来を考えたら、もっと若い選手に頑張ってほしいと思います」
契約更改という場で勇気を持って発した自分の思いに、和田という大先輩が続いてくれた。誰かがグラウンドに立てば、誰かがベンチに座る世界。牧原大が求めているのは、お互いに高め合えるライバルの存在かもしれない。それが本当の意味で、ホークスのためになると信じているから。
(竹村岳 / Gaku Takemura)