「新人は数字がない」入団会見で語った反省と決意
ソフトバンクは19日、西武からFA権を行使していた山川穂高内野手の入団を正式に発表し、本拠地PayPayドーム内で即日、入団会見を行った。終始笑顔を見せることはなかった山川が語った内容とは……。会見、その後の囲み取材で山川が語ったコメント全文は以下の通り。
(冒頭の挨拶)
「この度、ソフトバンクホークスさんにお世話になることになりました。まず、ここまで決断に時間がかかってしまい、申し訳なく思っています。そして、一連の私の不祥事でライオンズファン、ライオンズ球団、プロ野球ファン、全ての関係者の方に多大なるご迷惑をお掛けしたことを重ねてお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした」
「西武ライオンズさんには入団から10年間、楽しい時も苦しい時も支えてくれましたし、応援してくれました。本当に感謝しております。ホークスさんに決断した1番の理由は、三笠GMとお話したときに頂いた言葉の中で『絶対に優勝したい』『一緒に頑張りたい』『戦力になってください』と言ってもらえたことが、自分の心の中に強く刺さりました。それが1番の理由になります」
「私は来年、プロ11年目となりますが、ホークスのユニホームを着ることになります。ですが、マイナスからのスタートになると思っております。1日1日をこれまで以上に自覚を持ち、責任のある行動を取りたいと思っております。新人の気持ちで全力で頑張りたいと思っております」
――今の気持ちは?
「本当に身が引き締まる思いです」
――謹慎期間も長かった。
「まずは自分がしてしまったことに対する反省の日々を過ごしていました。野球については、3軍の方で若い選手と一緒に練習をさせていただいていて、グラウンドにいる間はしっかり練習していました。家に帰ったりいろんな人と話をすると、自分がしてしまったことの大きさを毎日痛感する日々でした」
――FA宣言に至った経緯は。
「ライオンズさんにもとにかく感謝しています。お世話になったんですが、他の球団の話、世間の人のご意見、周りの人のご意見、全てを聞いた上でしっかりとそれを受け止めて判断しようと決めましたので、その気持ちで(FA権を行使)しました」
――17日に西武・渡辺GMに連絡した、と。
「GMに僕の方から連絡させていただきました。(GMからは)10年間ありがとう、感謝している、と。最初の3年間、僕は2軍での生活だったので、そこは苦しんだけど、優勝に貢献してくれて本当にありがとう、と言っていただけました。僕の方からも最後の最後で迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない、と。10年間の中で今の僕があるのも、充実した野球生活が送れていたのもライオンズさんのおかげですので、その気持ちを伝えました」
――移籍の理由。
「三笠GMに優勝したい、と。戦力になってください、と強く言っていただけたことが一番の決断理由です。自分もその言葉を聞いて、覚悟を持って決断しました」
――厳しい声もあった。
「厳しい声が上がるのは当然のことだと思っています。僕も、野球で結果を出して許してくださいと思っていることもないです。僕自身が根本から変わらないといけないと今思っていますので、僕にできることは目の前の1つ1つの行動、言動に自覚や責任を持ってすることだと思っていますので、それ以上のことは僕はできないので。今はそれに徹していくと思っています」
――球団から求められていることは。
「ホームラン、打点、チームの勝利につながるバッティングを求められていると思います。ですが、マイナスからのスタートだと思っていますので、欲を出さずに、目の前の今日1日、一歩一歩やっていけたらと思っています」
――対戦相手として見ていたホークスの印象は。
「最大のライバルだと思いながら、僕は絶対にホークスには負けないという強い気持ちで、ここに来る時も、西武ドームでやる時も臨んでいました。優勝を経験した時も最後の最後までソフトバンクさんが最大のライバルでしたので、対戦相手としてはワクワクする相手だったと思います」
――ホークスで事前に連絡をした選手は。
「どこまでが事前なのかは考えてしまいますけど、嶺井選手とか、他にも日本代表で牧原(大)選手は特に一緒にいる時間が長かったので、連絡をくれたりしました。これからは、代表やオールスターなどで話したことがある選手がいますが、いろんな選手、人とまたしっかりとコミュニケーションを取れたらいいな、と思います」
――来季残したい成績
「今、本当に個人成績というか、例年であれば、リーグ優勝やホームラン王を絶対に獲るという強い気持ちで臨んでいましたが、それをこれからしっかり考えていきたいです。まずは今日という日を迎えられたこと、明日から一歩ずつ踏み出していくことを大切にしたいと思います」
――これまでの経験を優勝のためにどう生かしていく?
「1人の力では優勝はできないと思っています。ですので、僕もまずは自分のことをしっかりやることが大切だと思いますが、みんなで協力して、みんなでチームとして戦えさえすれば、いい結果が絶対に出ると思っていますので、そこにこだわっていきたいです」
――今後の自主トレの予定は。
「例年、自主トレはシーズンが終わって、その直後から球場を手配したり、ホテルを手配したりするのですが、お時間をかけてしまったので、自主トレに関して今はなにも決まっていません。これから考えていきたいと思っています」
――小久保新監督のイメージは。
「小久保さんは同じ右打者として僕が学生の時とかにすごく参考にしていました。監督として思うことはこれからコミュニケーションをとりながら考え方とかは聞きたいのですが、一選手の小久保さんのイメージが強いので、とにかくホームランを美しく、綺麗に打つのをかっこいいなと思いながら見ていました」
――参考にしていたのはどんなこと。
「YouTubeなどで小久保さんの特集がいっぱいありますので、それを全部見ました。足を怪我してそこから再起したのも全部見ましたので、本当はあのバット投げを真似したいんですけど、投げ方がちょっと違うので真似はできないんですけど、とにかくすごいなと思って見ていました」
――春のキャンプで小久保監督にどんな姿を見せたい。
「もし1軍のキャンプに呼ばれるのであれば、とにかくひたむきに、全力でプレーする姿を見ていただいて、しっかりアピールしたいなと思います」
――改めてホークスファン、ライオンズファン、プロ野球ファンへのメッセージを。
「本当にいろいろな方の期待を裏切ることをしてしまって申し訳なく思っています。これから自覚を持って、プロ野球発展のためにも、子どもたちの夢のためにも、しっかりとした道を歩んで、プロ野球が大好きな人たちのお手本になれるようにしっかり頑張っていきたいと思います」
――パフォーマンスへの不安は。
「試合の感覚は何か月も空くと無くなってしまうものですけど、その間も3軍では練習をさせてもらっていましたし、その時はいつも以上に体を追い込んできました。大体、10月、11月にシーズンが終わってから、実戦が入るまでは3、4か月間空くので、やってみてというところではありますが、体は万全ですので、そこは頑張れるかなと思います」
――背番号「25」のイメージは。
「25番と言えば、日本でも海外でも長距離打者が着けているイメージがありましたので、僕も長距離砲でしっかりと活躍したいという気持ちを込めて、25番をいただきました」
――競争は激しい。
「まずは自分のことだと思っていますので、競争が激しくなればなるほど自分が試されるというところだと思います。競争が激しくなって、ここで打たなければいけない、ここは結果を出したいという場面がいっぱい来ると思うんですが、そこでも1つ1つのことをやるのが、1番結果を出す方法だと思っていますので、目の前にあることを1つ1つ、自分にできることをしっかりやっていくのが1番だと思っています」
――西武ファンに挨拶ができていない。
「去就が決まっていない状態でしたので、なかなか挨拶ができずに悔やんでいます。本当は自分の口から皆さんに挨拶をしたかったんですが、日程的なこと、ここまで時間がかかってしまったこともありますので……。選手の方にはこれから連絡できる選手にはしたいと思っていますけど、ファンの方に挨拶をするのは、ここで先ほど述べた言葉で挨拶という形になってしまいます。そこは本当に申し訳ないのですが……」
(囲み取材)
――最後まで決断を迷わせた要因は。
「やはり、ライオンズさんは10年間お世話になっているチームですし、今回私が不祥事を起こしていますので、その辺も全部考えた上で最終的には決断したんですけど、そこが1番の要因になります」
――西武のファンからもありがたい声、厳しい声どちらも届いていた。
「叱咤激励、色んなご意見、『頑張って』と言ってくれる方々もいましたので、本当に最後の最後まで、その人達の声援にどうにか応えたいなという部分と、自分がこれを戒めとして、やっていき続ける(思い)、そして三笠GMに『それでもやっぱり必要だ』と強く言ってもらったので、そこでかなり悩みました」
――会見の冒頭で込み上げてくるものがあったように見えた。
「喋ってる時に色々思い出すので……」
――王会長からのお言葉は。
「王会長とはまだ話をしていないので、これからだと思います」
――ビジターで来るたびに王会長に挨拶していたが、王会長はどういう存在か。
「もともとホームランにこだわって野球人生を歩んできているので、その頂点にいる方なので。ホームランを打つこともそうですけど、練習して努力して、世界記録を作るというのは、常に僕たちを励ましてくれたというか……。僕も学生の時に苦しいことがあったら、王会長が日本刀を振ってるとか、畳が擦り切れるまでやっていたっていう動画を見て、これぐらいやらなきゃいけないんだなと感じながらやっていた。実際にお話しできるようになったのは2年ほど前。いつも力強い言葉をいただいています」
――松田宣浩さんが抜けてチームに活気がなくなったとの指摘もある。山川選手は西武でチームを盛り上げていた。
「松田さんにはいつも衝撃を受けていて……。本当にレベルが違う方なので。あそこまで声を出し続けるのはほぼ不可能に近くて、控えの選手とか試合に出ていない選手、若い選手が声を出すっていうのはよくあることですけど、ベテランになっても、あそこまで(声を)出し続けるっていうのはすごいことなので。あそこまでは真似できないので、僕は僕にできることをやって、その結果、雰囲気が良くなったり、チームが勝っていれば雰囲気は絶対に良いので。とにかく勝ちに貢献したいなと思っている」
――フェニックスリーグの時に小久保監督と交流があった。
「あの時はリチャードのバッティングの話をしていました。リチャードは入団した時から自主トレで毎年見ていたので。2軍でホームラン王を4度ですかね? 4年連続でとって、1軍に上がるとなかなか(結果が出ない)という話になって、何が原因なのかなっていうところで。その時に小久保さんが、たまたま雨で中止になって、僕も近くにいたので、どうかなっていう話をして、『僕はこう思います』という話をしたら『オレもそう思ってた』っていう、バッティング技術の話をしました」
――新人時代に戻るというのはどういう意気込み。
「右も左もわからない状態のスタートがプロ野球の始まりで、初めてのプロ野球選手、初めての先輩、グラウンドも、チームによって雰囲気や練習方法とかも全部違うと思うんで、とにかくそれを含めて、そして自分の心の持ち方として、今まで培ってきた実績とかをゼロにするっていう意味です。なんならマイナスにする、と。自分の気持ちの中で、数字はどうしても残ってしまうんですけど、ホームラン王を取ったことがあるとか、ずっと4番を打っていたとか、そういうのは一切抜きにして、ゼロの状態、マイナスの状態からスタートしたいという意味で。新人は数字がないんで」
――山川選手が見せたい「美しさ」とは。
「美意識の捉え方、考え方は様々だと思っていますが、僕が今聞かれて考えるのは、プロとしての在り方だと思っています。準備の部分であったり、見えないところのこだわりとか、常にテレビに映る、何万人の前でプレーを毎日のようにする、と。そうやって人に見られてるところをしっかりわかっていなさいよ、考えなさいよという意味だと僕は思っているので。今回の件で、美意識は当然、僕はできていないので、そこはこれから高めていけるようにしたいと思っています」
――家族のサポートや思いは。
「こんなことをしてしまったのに、とにかく妻が家ではいつも『頑張ってね』とか『頑張ろうね』みたいな話をしたり、時にはふざけ合ったりもして、陰ながら励ましてくれたので、もう裏切ることは絶対にしないように。あとは娘がいますので、娘は状況がわかっていないので、変わらず『パパ遊ぼう』と言ってくれるので、本当に家族に救われましたし、もちろん僕の母親とか、妻の母親、親戚のみんな、色んな心配、色んな意見、色んな人が関わってくれたので、その人達に助けられましたし、これからはもう裏切ることをしないようにしていきたいと思います」
――今後のトレーニングの予定は。
「今は、考えていなかったので……。例年なら計画的に自主トレや、12月の練習はこれぐらい、1月はこうして、とプランを立てるんですけど、これからまた引っ越しとかもあると思いますし、だからと言って体を休めるわけにもいかないので、今は空いてる時間で1人でやってる状態ですので、もしかしたらこのまま1人でやるかもしれないですし、後輩が来たいと言えば(一緒に)やるかもしれないですけど、未定です」
――実戦感覚を失わないために心がけていたことは。
「目はすぐ慣れます。体が問題になってくるので、体をしっかり動かすことさえできれば、初戦にすぐ打てと言われると打てる時もあれば打てない時もあると思うんですけど、目とか感覚はすぐ慣れるものではあるので、そこから精度を高めていくのが大変なので、慣れるのはすぐ慣れます。ホームランをずっと打ち続ける精度になるまでは少し時間がかかったりしますけど」
――移籍するにあたり妻への報告は。
「妻には正直に話すので、すべての話ができます。全ての話をして、どう思うと聞いたら、任せると言っていただいたので。本当に野球人生、残りは限られていますし、一度は引退も本当に考えたので。引退するかどうかの会議も、母と妻としたので。どうしようか、もう少し頑張ってみようかという話をして。一緒に乗り越えてきてくれたので。妻は好きにしてと言ってくれました。妻が任せると言ってくれた言葉で、僕がどういう決断をしてもついてきてくれるんだなと判断になったので、すべてを踏まえてホークスさんにお世話になることを決断しました」
(鷹フル編集部)