柳田悠岐の実家に飾られていたサイン 今も会えば興奮…近藤健介が憧れた巨人のスターは?

柳田悠岐と近藤健介【写真:竹村岳】
柳田悠岐と近藤健介【写真:竹村岳】

■近藤健介が憧れたのは巨人のスター選手

 プロ野球界を代表する2人のスーパースターは、どのような経緯で野球を始めたのか。明かされたのは実家に飾られ続けていたサインの存在だった。22日に野球教室「ベースボールキッズ2025」が筑後のファーム施設で開かれた。「楽しい時間を過ごせました。大人にはない、子ども特有の元気さがあったので。そういうパワーを感じました」。柳田悠岐外野手は笑みを浮かべて振り返った。

 イベントの最中には、子どもたちから近藤健介外野手に質問が飛んだ。「憧れていた人は誰ですか?」。今や球界最強打者となった背番号3が明かしたのは、巨人で名を馳せた同郷出身のスラッガーの名前だった。

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続きの内容は

・近藤が明かす憧れのスターとの「意外な接点」
・近藤がいまだに「興奮する」という現役コーチ
・柳田の実家に飾られ続けたサイン。その「贈り主」とは?

■小学校6年生時にはロッテジュニアで全国準優勝

「高橋由伸さんですね」

“近藤少年”にとってのスターは、巨人一筋18年で通算1753安打、321本塁打を放った背番号24だった。同じ千葉県出身で「家も近かったんですよ」。当時使っていたグラブは、現在西武で野手チーフ兼打撃コーチを務める仁志敏久さんのモデルだった。「仁志さんもめっちゃ好きでしたね。今西武のコーチをされているじゃないですか。今でも見たら興奮しますね」。ドキドキした気持ちで、テレビを見つめていたあの頃。純粋な思いは、今も変わっていない。

 小学校6年時にはロッテジュニアにも選ばれ、全国準優勝を果たした。チームの監督を務めていたのは、ロッテで主砲として活躍していた初芝清さんだった。「野球教室でも今江(敏晃)さん、橋本(将)さんに教えてもらった記憶がありますね」。多くの習い事をしていたが、東京の修徳中学校に進学すると野球1本に絞った。「最後は自分で決めましたね。野球が楽しいと思っていたので」。少年時代、プロ野球選手に憧れていたのは近藤も同じだった。

■広島で生まれ育った柳田悠岐「サインはずっと実家に」

 柳田にとっても、幼少期の記憶は今も脳裏に刻まれている。「(小学校)1年生の時はサッカーを習っていて、野球をやった時に野球の方が楽しかったので。僕はそっちをやることにしました」。近藤と同じく、どんどんと魅力にのめり込んでいった。「野球教室でも今カープで2軍監督をされている高(信二)さんや、横山(竜二)さんに教えてもらいました。そのサインはずっと実家に飾ってありました」。

 この日のベースボールキッズでも、限られた時間の中で子どもたちとの交流を楽しんだ。「みんな野球が上手くなりたいんだなって思いましたね。でも結局、練習しないと上手くならないので。言うことはずっと一緒です。全部はすぐにできないので。ずっと頑張ってほしいなと思います」と柳田。かつての自分と照らし合わせた心からのエールだった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)