バットを置くことに躊躇いはなかった。元ソフトバンクの真砂勇介さんは、昨年末に日立製作所を退社し現役を引退、半導体や土木資材を取り扱う株式会社「オーテック」の社員として働き始めた。プロ野球時代の10年を過ごした福岡県に2年ぶりに戻り、第2の人生を歩み始めた。
「今は勉強している最中です。自社がどういった商品を取り扱っているかとか、本当にゼロからのスタートなので。(商品を買う)お客さんもいれば、仕入れ先もいてちょうど真ん中の立場なので。やっと少しずつ覚えてきているという感じですね」
真砂さんは京都・西城陽高から2012年ドラフト4位で入団。“ミギータ”として2016年位はU-23W杯で4本塁打を放ちMVPを獲得した。2021年には自己最多の79試合に出場したが、2022年オフにソフトバンクから戦力外通告を受けた。トライアウトではNPBから声がかかることはなく、一度は引退も考えた。
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その考えを翻したのは、日立製作所からのオファーだった。「辞めようと思ったらやめられたんですけど、社会人野球でどんなのだろうって。自分としても社会人とかを経験した方がスキルもつくかもしれないし。野球だけじゃないので仕事も多少はできるかな」。今後のキャリアを考えて、日立製作所入りを決めた。
日立製作所では即戦力として期待された。チームの主軸を任されていたが、2023年、2024年はあと一歩のところで都市対抗出場を逃した。野球は好きだった一方で「この先、野球だけで飯食うって言っても先が見えている。それを思うと、続けていいのかがわからなくなってしまったんです」とモチベーションを維持する難しさを感じていた。
プロ時代は活躍すればするほど、給料に直結した。一方で、真砂さんは正社員ではなく契約社員だった。第1子も生まれ、家族も養っていかないといけない立場。「どのくらいやればいいとか、どのくらいの成績を残せばいいっていう具体的な目標はなかったから、モチベーションが消えてしまった」。現役引退を決断した。
それでも社会人野球の経験は真砂さんの第2の人生を手助けした。28歳にしてパソコンを使うのはほぼ初めて。社会人としての基礎スキルを少しずつ学んだ。「初めはとても嫌ですけど、知らない人と話したりとか。ストレスはかかりますけど、絶対やらないといけないじゃないですか。逃げ道は作らないようにしていましたね」。自ら追い込むのは、現役時代と同じだった。
3月23日に行われたOB戦では引退以来のバットを握った。3打数無安打に終わり「興奮して眠れなかった。悔しさがあって」と振り返る。一方で、現役への未練はない。「もうしなくていいやって思えるぐらいやりきったっていうのかな」。清々しい気持ちで新たな道を歩み始めている。