体から血が…「これってストレスですか?」 リチャードがこぼした涙、過酷と恐怖の2か月

自主トレを公開したリチャード(左)と山川穂高【写真:竹村岳】
自主トレを公開したリチャード(左)と山川穂高【写真:竹村岳】

昨年11月から継続してきた山川との自主トレ「振り返ると怖いですね」

 師匠ですら「この2か月、よく頑張った」と認めるほどの圧倒的な練習量を乗り越えてきた。胃痛に血便……。リチャード内野手が今オフ過ごしてきた自主トレ期間は一体、どれほど過酷だったのか?

 ソフトバンクの山川穂高内野手が20日、沖縄・嘉手納スポーツドームで自主トレを公開した。昨年12月は主に福岡、年が明けると久米島と沖縄本島でトレーニングを積んできた。リチャードは「振り返ると、怖いですね。もう1回って言われても、絶対にやりたくないです」と言い切る。少しスリムになった顔つきからも、充実感が伝わってきた。

 これまでも毎年のように山川と自主トレをともにしてきたが、本格的な技術指導を受けたのは「1年目の1回目だけ」だという。しかし、このままではいけないという思いが自身を突き動かした。昨年11月、「絶対に変わりたいんです」と師匠に頭を下げた。「わかった。お前絶対やり切れよ」。何度だって逃げ出したいと思った。リチャードが、この2か月を具体的に振り返る。

「胃がめっちゃ痛い時がありましたね。『俺、胃潰瘍かな』とか思いましたけど……」

 便に血が滲んだこともあった。「これってストレスですかね?」と、今だから笑って振り返られるが、自主トレが始まって以降はいつでも救急車を呼べるように「119番」を電話帳に登録した。実際に呼ぶことはなかったが「何回も呼ぼうとしました。練習がキツくて、倒れるじゃないですか。そしたらApple Watchが『転倒を検知しました』ってなった時もありました(笑)」。毎日が必死。とにかくそれだけ過酷だった。

 これだけの練習量を課してきた山川も「人間って、キツかったら泣くんですね。リッチー、泣いていましたよ」と、思わぬ“発見”を語った。一方で技術指導に関しては「全くしていないと思ってもらっていいです」ときっぱり。「逆に、今まではそういう話ばかりをしていたんですよ。僕が間違えていたのかな」。継続できずに様変わりしてしまう愛弟子の姿を何度も見てきたから、今回は焦点を少し変えて臨んだという。

「技術の指導をするというよりは、思考の話をしています。僕が西武にいて、あいつがソフトバンクだと、1月はすごく良くなるんですけど、3月にオープン戦で会うと『お前どうした』ってなっていましたし。シーズンが終わる頃にはバッティングが全然ダメになっているので。だから、そういうのをやめようかという話をしました。とにかくバットを振り込んで、キツい練習をして、最強になろうと。何も考えずに、来た球をポンと当てればホームランになるような体を作ろうという話になりました」

 山川ですら、1月の自主トレ期間とシーズン終盤を比較すると「意識していることって9月、10月にはまるで変わっている」という。それだけ技術的な意識を継続することは難しい。だからこそフィジカルをテーマに掲げた。「頭で考えるよりも体を動かす。どんな時もトレーニングとバットスイングを繰り返すことで染み付くものがあると思うので。ごちゃごちゃ考えるんじゃなくて、黙ってやりなさい、と」。キツかったのは確かだが、絶対に忘れないように、心身に山川のノウハウを刻み込んできた。

 リチャードは2024年、15試合に出場して打率.226、0本塁打。自ら「絶対に変わりたい」と言ったのは、悔しさが根底にあった。「シーズン中からも思っていました。1軍に上がれないこともあったし、悔しかったので。『絶対に打ちたいんで、お願いします』と言ったところから始まりました」。三塁には栗原陵矢内野手、一塁には“師匠”の山川がいる。壁が厚いことはわかっているが、首脳陣へのアピールを問われても「動きを見てもらえたら」とうなずくだけだった。変わった自分を思う存分、2月から見せつけていく。

「過酷でしたね……」。沖縄の青空を見上げて、リチャードは言った。山川も「期待してもらえたら」と弟子の成長に太鼓判を押す。才能が開花するまできっと、あと少しだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)