最後の登板は、昨年9月4日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム)。先頭打者に四球を与えたところで降板を告げられ、リハビリ組へと移行した。球春到来となる春季キャンプに向けて、小久保裕紀監督がS班に松本裕の名前を挙げたのが、昨年11月19日。「松本は慌てさせない。宮崎にいる間に1回、実戦で投げられればいいんじゃないですか」とビジョンを描いていた。右腕のスマートフォンが鳴ったのは、それよりも少し前の出来事だ。
「11月ぐらいに倉野さんから電話があって、『メディア発表より先に伝えておく』って感じで言われました。S班でやるっていうところの話をされました」
電話の向こう側、声の主は倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)だった。指揮官の口から報道陣に伝わるより先に、本人にも通達していた。「今までの取り組みとかが評価されて、任されるようなところにはなったのかなっていうところは感じました」と背筋を伸ばす。当然、独自のスケジュールで進んでいればいいだけではない。S班選出の“意味”は、右腕なりにも重く受け取っていた。
「(重圧を感じるのは)両方ですね。もう内容、調整はこっちに任せるけど、結果は出していかなきゃいけないプレッシャーは、もちろん他の人よりはあるかなとは思います」
リハビリ組にいながらも、松本裕に調整を任せた理由を倉野コーチ本人にも聞いた。力強く、即答だった。
「成績です。成績と、純粋に力です。逆を言えば、S班に入っていない人は競争しているってことですよ。ただ、その中で全員横一線ではないです。これまでの実績プラス去年の評価っていうものは、当然アドバンテージがある人はいるので。なんでもかんでもゼロスタートねっていうことは絶対僕はしたくないし、あり得ないので。当然アドバンテージがあって当たり前だと思います」
小久保監督とも相談した上で、選出したのは投手と野手で5人ずつ。日本人投手は松本裕と有原航平投手だけだ。倉野コーチは「しっかりいい状態っていうか、自分の投げる状態をつくってくれれば、1軍の戦力としてはもう確定している」と断言した。通算で234試合に登板。背番号66が勝ち取ってきた信頼が、S班という形になって表れた。欠かせない戦力になった何よりの証だった。
右肩については、まだキャッチボールの段階。2月1日は宮崎で迎える予定で、松本裕も「もちろん開幕である程度、100%でいけるところに持っていくプランでは立ち上げていきますし。オープン戦、福岡に帰ってから、投げていく形になるかなと思います」と見据えている。万全の状態でマウンドに帰ってきてくれたら――。ホークスのブルペンはより一層、強固なものになる。