板東湧梧の苦悩「絶対に原因はある」 引退1か月前…和田毅がくれた“最後”の教え

和田毅氏(左)とソフトバンク・板東湧梧【写真:竹村岳】
和田毅氏(左)とソフトバンク・板東湧梧【写真:竹村岳】

板東湧梧は2024年1軍登板なし…「苦しい記憶しかないです」

 復活を目指す途中の出来事だった。「板ちゃん、わかったよ」。師匠から届いた連絡だった。

 ソフトバンクの板東湧梧投手は2024年、1軍登板なしに終わった。ウエスタン・リーグでは14試合に登板して3勝2敗、防御率3.88という成績。主に苦しんだのは出力の面で、シーズンを通して最速は145キロにとどまった。「何をやってもうまくいかないというか……。こんなに頑張っているのにと思いながら、苦しい気持ちが日を追うごとに強くなっていきました」と、苦しい胸中を明かす。

 レギュラーシーズンの最終戦は、10月4日に行われた。その少し前、板東は倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)から「1軍で投げることはない」と通達された。チームで自分一人がポストシーズンではなく、2025年に向けてスタートを切った瞬間だった。思い悩む中で、急に連絡をくれたのが、自主トレをともにしてきた和田毅投手だった。「板ちゃん、わかったよ」。

 それは10月の出来事。チームはクライマックス・シリーズを戦っていた。ファーム管轄の板東は休日で自宅にいたが、和田から連絡を受けてすぐにみずほPayPayドームに向かった。「『時間があるならおいで』と言ってくれて、ネットスローを見てもらいながら指導をしていただきました」。本拠地のブルペンで、師弟だけの時間が流れた。

「その時も悩んでいたんですけど、和田さんに『絶対に原因があるから、そこを改善するだけで良くなる』って言ってもらえたのが、自分の中でも励みになりましたし、まだできると本当に思えた瞬間でした」

 2024年、和田も故障が重なりファームで過ごす時間が長かった。苦しむ板東の姿は、常に横目で見守っていた。「僕がアドバイスを求めに行った時は話してくれましたけど、和田さんから言ってくることはなかったです。その時(10月)は和田さんから話してくれました」。2人の間で、お互いに競争相手である認識は抱いていた。励ましの言葉をもらった記憶もない。だからこそ、大先輩の方から連絡をくれて、指導までしてもらえたことが強烈に印象に残った。

 オフシーズンとなり、現状は「良くなっている」と手ごたえを掴み始めている。和田からのアドバイスは、方向性を見つけるよりも前の出来事で「感覚が良くなってきたのは、それから1か月後とかでした」と明かす。「『体幹は意識するんじゃなくて、使われるものだ』と言ってもらって、それをするためにどうするのかを試行錯誤しながら見てもらっていました。理屈は理解した上で、意識するポイントを変えてみました」。苦しんだ期間は本当に長かった。ついに“光”が見えた瞬間だった。

「(2024年は)苦しい記憶しかないです。最初の方はすぐに良くなると思っていたのが、どんどんドツボに入っていたので、冷静に思うともっとやり方はあったと思います。自分自身、1個のことにハマりやすい。とことんやるんですけどそれがいい方向じゃなかった。良くないウエートのやり方が、体を機能的に動かせなくしていた。それをリセットして、出るようになってきたのかなと」

 11月5日、和田が今季限りで現役を引退することが球団から発表された。板東がともに自主トレを行ったのは2年間。師匠がユニホームを脱ぐという一報を、どのように受け取ったのか。

「寂しい気持ちですし、考えてもいなかったです。中継ぎでやられていたり、和田さんの年になっても新しい取り組みをされている。まだまだこれから成長していく、いろんな姿を見せてくれると思っていたので、1ミリも引退されると思っていなかったです。(2024年は)1軍で一緒に戦えなかったので、そこは悔いが残りますけど。少しでも自分がいい投球をして恩返しができたら」

 憧れる大先輩は、悔いを残すことなく、笑顔で現役生活に別れを告げた。昨年12月に契約更改の日を迎え、2025年もホークスで戦うことになった板東。「どんな形でも野球は続けると決めていました」と、決意はできていた。1軍のマウンドに必ず立つ。和田毅の偉大さを、証明するためにも。

(竹村岳 / Gaku Takemura)