木製バットに葛藤も「やめようかと」 知られざる苦悩と貫いた覚悟【新人連載④宇野真仁朗】

ソフトバンク・宇野真仁朗【写真:冨田成美】
ソフトバンク・宇野真仁朗【写真:冨田成美】

高校3年間の集大成を目前に下した“決断”も…結果が出ない日々に苦悩

 2024年ドラフトでは支配下選手6人がホークスに加わりました。鷹フルでは将来を担うルーキーズを全6回にわたって紹介します。第4回は早実からドラフト4位で入団した宇野真仁朗内野手です。木製バットの使い手として大きな注目を集めた高校通算64本塁打のスラッガーが抱えていた“葛藤”に迫ります。

 高校球児にとって、最終学年で活躍できるかどうかが今後を大きく左右する分かれ道となる。そんな大事な1年を前に、宇野は大きな決断を下した。高校2年の冬、手に持ったのは新たな“相棒”だった。今春の選抜大会から採用された新基準の低反発バットではなく、繊細な扱いが求められる木製バット。さらなるレベルアップを狙った選択だったが、最後の大会を目前に決意は揺らいでいた。

「夏の大会前は、ずっと練習試合でも木製を使っていたんですけど。5月中旬から6月末までの間は全く打てなくなって。焦りから『木製バットをやめて金属に戻した方がいいのかな』って考えることもありました」

 高校屈指の強打者だからこその悩みだった。「金属はタイミングがある程度合っていなくても、しっかりボールを押し込んでいければ飛ぶので。線じゃなくて点でガンって当てにいく感じなんですけど、木製は少し(ボールの)下からバットを出して、しっかり乗せていかなきゃいけないので。そこは違いましたね」。高校3年間の集大成を前に、短い期間での新たなチャレンジ。覚悟はしていても、結果が出ない現実はやはり苦しかった。

ソフトバンク・宇野真仁朗【写真:冨田成美】
ソフトバンク・宇野真仁朗【写真:冨田成美】

 それでも木製バットを手放さなかったのは、過去の“反省”があったからだ。「高校1年のころは大会中に打てなくなるとフォームを変えてしまって、余計に悪くなることが多かったので。もちろん意識をいじっていかないと、いい結果にはならないんですけど、形は絶対に変えちゃいけない。そこは苦しくても貫きました」。その結果、宇野はバットでチームを甲子園出場に導き、夢の舞台でも木製バットの使い手として印象的な打撃を披露した。

 世代屈指のスラッガーとして名を馳せたが、今でも忘れられない“屈辱”がある。中学時代にプレーした「市川リトルシニア」での1打席だった。「中学2年の秋に全国大会がかかった試合があったんですけど。1点をリードされた最終回に1死満塁で回ってきて。『最低限、外野をフライを打てればいいだろう』って、なんか軽い気持ちで打席に立っちゃって……」。

 宇野は初球のボール球に思わず手を出してしまい、結果は捕邪飛に終わった。チームはその後も得点を奪うことができず、試合に敗れた。「ただ目の前のボールに対して、自分ができることをしなくちゃいけなかった。なんとなくで打席に入ってしまったので。この場面で自分ができることをもっと考えないといけなかったんです」。今もふとそのシーンを思い出してしまうほど悔しかった。

 強烈な経験が宇野を変えた。「冬の期間にランニングとかきつい練習が多くなったんですけど、自分の全力を練習から出せるようになりましたね。これまでは『疲れるから最後だけ少し(力を)抜こう』みたいな感じだったんですけど、もう二度と悔しい思いはしたくないなって。あの試合がなかったら、プロに行けるほどの選手にはなれていなかっただろうなと思います」

 小学校、中学、高校とプレーしてきたチームでは全て主将を務めた。「正直、性格的には先頭に立ってチームを引っ張るタイプではないです」と言いつつも、高校時代は練習後に最後までグラウンドに残ってボール拾いをするなど、背中でチームをけん引してきた。

 自身の長所を「一度決めたことをやり切れること」と自負する。迷いに打ち勝ち、木製バットを手放さなかったことが、プロ入りにつながった。18歳ながらも一本の太い芯を備える宇野。ホークスの未来を背負う逸材なのは間違いない。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)