田上投手の母・由香さんにインタビュー「頑張ってもあかんかったら、しゃあない」
難治性の疾患「ランゲルハンス細胞組織球症」の発症を公表したソフトバンクの田上奏大投手。鷹フルでは母の由香さんにインタビューを行いました。「病気にさしてごめん」——。自らを責めつつも、息子の前では普段と変わらぬ笑顔を見せていた母。言葉にしたのは親としての思いでした。
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奏大が福岡から大阪に戻ってきたのは2月後半でした。新幹線の駅まで迎えに行くと、さすがに沈んだ表情で改札口から出てきました。「おかえり。大丈夫か?」。なんとか普段通りの表情を見せようと、必死でした。
今年の春のキャンプで体調が悪くなって、最初に病院へ行ったときにはがんの可能性もあると聞かされました。本当に「違いますように、違いますように」って。あんなにまだ若いのに……。がんでないことを願うことしかできずに、もうどうしようかなって感じでしたね。
私は奏大が高校生の頃に乳がんになりました。病名を言われたときの「これからどうなるんやろ」っていう気持ちを自分もちょっと思い出して。そういう気持ちを20歳そこそこでさせてしまって。なんていうか、『もうわけわからん病気にさしてごめん』って。何があかんかったかな……とか。胸が痛くなりました。
ランゲルハンス細胞組織球症っていう病名を聞いても、「骨がどこまで溶けていくんやろうか」「症状は止まるのかな」って。いろんな想像をして、「もう野球どうこうじゃないよね。死なんといてくれ」って。本当に怖かったです。
奏大が実家に帰ってきて、とりあえず元気でいようと思ったんです。家族みんなで。普段通りに、必要以上に構うわけじゃなくて。「動くな、動くな」とか、そんなんじゃなくて。テレビを見てわちゃわちゃしたりとか。「大丈夫、大丈夫」って言ってあげないと、大丈夫じゃなくなるんやないかって。
泣くとかそういうことはなかったですけど、仕事が手につかなかったですね。奏大がいないところで病気のことをいっぱい調べたりとかもして。自分もまだ定期的に病院へ行っているので、先生にも聞いてみたんですよ。「この病気は遺伝に関係したりするんですか」って。先生には「いや、関係ないと思います」って言われて。やるせない思いはずっとありました。
4月末ごろに奏大が筑後の寮に帰るっていった時は、思わず止めてしまいました。「まだ、もうちょっといいんちゃうかな」って。でも、あの子が焦る気持ちも分からなくもなかった。最後に決めるのは本人だし、体の状況が1番分かるのも奏大なので。だから、「母さんには分かれへんから、自分で決めて」って言って。まだ帰っても何もできへんやろうし、勢いで動いてしまって、また体が悪くなるんちゃうかなとか思ったり。不安は正直ありました。
病院の先生に「もう大丈夫」って言ってもらえたら、気持ちも楽なんでしょうけどね。親としてはやっぱり心配になりますけど、奏大は一生懸命やっているので。今が一番、思いきりやる時期だとはわかっているんですけどね。今も結構連絡は取っているので。「人一倍、休息を取らなあかんのやで」って言っているんですよ。
もちろん奏大が支配下に上がって。もう一度1軍で投げているのを見たいです。本当に頑張っているのは分かっているし、「頑張れ」ってしか言ってあげられないんですけど……。本当に悔いのないようにだけやってほしいというか。この1年、次の1年って、ほんまに勝負なんで。もうやりきるっていうか、「上がっていけ」って感じですよね。
最後に、「病院に行こう」って言ってくださった球団の方には感謝しかないです。キャンプ中にちゃんと診てもらった方がいいって言ってもらったのがきっかけで、そういう病気っていうのもわかりましたし。そのまま痛いけど続けてやっていたら、それこそ車椅子で生活しないといけないような状態になっていたかもしれないですし。いろんな病院を手配してくれて、本当に感謝しかありません。
奏大が「病気になったのがお母さんやお兄ちゃんじゃなくて、自分でよかったな。“アタリ”やったなって」って言っていたのには驚きました。「そんなん言うんや」って。あの子は色んな人に恵まれているので。めっちゃ頑張って、頑張ってもあかんかったら、しゃあない。またマウンドで投げる姿を待っています。
(長濱幸治 / Kouji Nagahama)