「妻には7月に伝えていた」 娘から言われた「今回は本当?」…和田毅が40分間で語った全て

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

和田の引退会見、囲み取材の全文公開「世界一のファンだと思っています」

 ソフトバンクの和田毅投手が5日、引退会見を行いました。涙は一切なく、最後まで笑顔を貫いた43歳左腕。22年間のプロ生活、そして今後について……。会見後の囲み取材も含め、40分間で語ったこと。鷹フルでは全文を公開いたします。じっくりとご覧ください。

【引退会見】

「私、和田毅は今シーズンをもって引退をします。たくさんの方からメールとか電話をいただいて、まだ全然連絡も返せていないんですけど。まだ連絡できていない方もたくさんいるんですけども、この場を借りて伝えさせていただきます」

——引退を決断した。どのような思いか。
「最近決めたわけでもなく、ずっと前から……。ある程度固まってきたのは、今年の7月を過ぎたくらいからですかね。それくらいにはほぼほぼ、自分の中では固まっていましたし。妻にも7月には伝えていたので。ここまで皆さんに知られずに、この日を迎えられて自分としては本当に良かったかなという思いはあります」

——引退を決めたタイミングは。
「さかのぼれば2019年の時からですかね。5年前くらいから、自分としては肩の痛みと戦いながら投げていた。2018年に全く投げられずに、2019年に復帰できたんですけど、その年から5年間、いつでも『ダメになったら辞めよう』という気持ちを持ちながら毎シーズン戦っていました。それはいろんな方にも言っていたんですけど、それは偽りなく、そういう気持ちでやっていたので。その中でホークスで選手としての役割というのが、だんだん終わりを迎えているのかなと。5年間の中で少しずつそういう思いが出てきて。で、その中で今年は特に強く感じて。それよりも選手ではない立場でホークス、そして野球界に貢献できるように、勉強する時間にあてたいという気持ちの比率が高まってきて。その比率が完全に上回ったのが今年だったので。今年は膝の痛みだったり、腰だったり。今回は股関節の痛みだったという報道だったんですけど、内転筋の肉離れだったので。中継ぎで投げていた時も、結構肩の痛みを抱えながら。何度も注射を打ちながら投げていた部分もあったので。決断したからかは分からないですけど、どんどん体がボロボロになっていってるなっていうのを、今シーズンの最後の方は感じていました」

——7月に引退を決断した後、シーズン終盤に1軍に上がった。どんな思いでプレーをしていたのか。
「今年は本当に膝の痛みがきつくて、投げれるかどうかというのも……。正直、戻れないなというのも覚悟をしていたんですけども。治療の甲斐もあって9月の前くらいから良くなってきて。もしかしたら試合で投げられるようになるかもしれないと思って、完全にそこで自分としては今年辞めようという決断をして。球団のトップの方にもその時にそれとなく伝えてはいたんですけど。どんな形でもいいので、今年が最後だという気持ちで自分はやっていたので。チームに貢献できる形で終わりたいなと。最後は肉離れしてしまって、日本シリーズに全く貢献できずに申し訳なかったんですけど」

——日本シリーズには練習する姿もあった。どんな思いだったのか。
「球団の上の方しか(引退を)知らなかったので。当然、選手も監督、コーチも誰も知らない状況だったので。肉離れをしてしまって、来年のためにリハビリを頑張ろうという言葉を頂いた時に、自分としては今年で終わりなので。その時に初めて(小久保裕紀)監督と、倉野(信次投手)コーチと、チーフトレーナーの鈴木淳士さん。その3人だけに伝えて。ホームにいる時はチームの中でやらせてもらえませんかということで。やらせてもらっていました。中には選手もそうですし、裏方さんだったり、トレーナーさんだったり、何でここにいるんだろうと不思議に思われた方もたくさんいたとは思うんですけど、そんなわがままを許していただいて、許可していただいて感謝しています」

——最後まで周囲に引退を伝えなかった理由は。
「いろんな方の考え方はあると思うんですけど。今年ホークスは優勝しましたし、その中で引退試合とか、引退の報告をして……。ファンもそうですし、選手もそうなんですけど。自分で言うのも変なんですけど『和田のために日本一になろう』とか、そういう空気にだけは絶対したくないというのがあって。自分も今年はほとんどチームに貢献できてないですし、優勝したのは紛れもなくチーム全員の力ですし、みんなの力ですし。ファンの声援あっての優勝だと思いますし。その中に私情を挟んではいけないなと。自分のためにという空気には絶対してはいけないなと。みんなの力で勝ち得た優勝なので。みんなの力でCS、日本シリーズを戦ってほしいという気持ちがあったので。そこはもう、球団の方からも引退試合の話はいただいてはいたんですけど、そこは固辞させてもらいました」

——22年間、どんなプロ野球人生だったか。
「振り返っても悔いのないというか、やり残したことのない野球人生だったと自分では思っています」

——印象に残っていることは。
「22年もあるので。全てが思い出ですし、新人の時は日本一を1年目で経験させてもらいましたし、今じゃ絶対にないと思うんですけど、先発で完投して胴上げさせてもらったこともありましたし。今考えたらルーキーで胴上げ投手ってありえないなって。そんなことを王監督の時にさせていただいて。今考えると不思議なんですけど。そこからけがもあったり、アメリカに行ったり。失敗とかたくさんのことがありましたけど、自分にとっては全てがプラスになったと思いますし、これまでの野球人生の中で無駄なことはなかったなと。そこは誇りを持って言えるかなと思います」

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

——プロ野球選手として大事にしていたことやこだわりを持っていたことは。
「そこは最後の引退試合を固辞したことじゃないですけど、やっぱりファンあってのプロ野球ですし。1人で優勝できるものではないですし。1人のためにやるっていうことも時には大事だと思いますけど、やっぱりみんなの力が集まって、そしてみんなが同じ方向を向いて、勝ち得ていくものだと思うので。それを自分も大事にしていましたし。チームあっての自分だという気持ちでずっと戦っていたので。それを一番最初に気付かせてもらったのが城島さんに怒られた時だったんですけど。城島さんに怒られて、教わってからはずっとその気持ちで。それを22年続けられたというのはよかったと思います」

——43歳まで現役を続けられた理由は。
「本当に今までの出会いですかね。たくさんの方に出会ったことが今の自分を作り上げてくれたと思っていますし。当然、両親もそうですし、奥さんも娘もそうですし。たくさんの方に感謝というか、携わっていただいたことが今の自分を作り上げてくれたと思っているので。今ここにいる記者さんたちもそうですし、本当に22年もプロ野球選手を続けさせてもらって、感謝しかないです」

——ホークスファンに対する思いは。
「本当に日本一、世界一のファンだと思っています。2018年は怪我で1年半も投げられなかったんですけど、2019年にマウンドに上がった時、本当にすごい拍手をいただいて。これだけのファンの方が待ってくれていたのかなと思うとすごくうれしかったですし、本当にあの時の拍手は忘れませんし。もしかしたら引退試合をしなかったことは、ファンの方にとって裏切り行為になっちゃうのかもしれないですけど。そこはちょっと自分の22年やったプライドというか、そこを考慮していただけたらなと。そこは申し訳ない気持ちはあります」

——今後については。
「全く何も。本当に内密に進めてきたことですし、絶対に漏らしたくないという気持ちでやっていましたので。王会長にも知らせたのは昨日(4日)の朝ですし。ちょうど選手、裏方さんの祝勝会が昨日あったので。伝えたのもそこですし。そこからいろんな人に電話をしたのも昨日の夕方くらいからなので。まだ何も決まっていませんし、球団の方からは今後の話をしっかりやれたらということは言っていただいているので。すごくありがたい話ですし。引退試合は(今季中には)しなかったんですけど、もしも可能であれば来年の3月にセレモニーになるのか、引退試合になるのかは分かりませんが、やっていただけたら。そこでお願いしたいというのは球団には伝えています」

——今後、指導者としてユニホームを着たいという思いは?
「現在は(現役を)終えたばかりですし。まだまだ今の自分では勉強不足ですし、すぐなれるとは思っていませんし。まだまだそのことは考えられませんけど、いつかしっかり勉強して、そういう日が来るのであれば。もしそういう形でオファーをいただけるのであれば、それに見合う人物になって戻ってこられたらなとは思います」

——和田投手にとって福岡はどんな場所? また福岡で姿を見ることはできるのか?
「その予定ですし、どっか行けと言われたらしょうがないですけど。18年も福岡に住まわせてもらって。福岡が大好きですし、自分にとっては人生で一番長く住んでいるので。ほとんど故郷と言っても過言ではない場所なので。福岡に住み続けられたらなとは思っています」

——野球人生において大学時代はどんな時間だった?
「プロに入る中で一番のターニングポイントになった4年間だったと思いますし。それは高校の時もいろいろあったんですけど、一番大きなターニングポイントは大学の4年間だったんじゃないかなと思います」

——「松坂世代」最後の1人だった。松坂大輔氏はどんな存在か。
「常に僕らの太陽といいますか、トップですし。本人に連絡したら、自分が辞めることを悲しんでくれていたので。これで同級生全員が引退になったので、何かやろうよという話はしました」

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

●囲み取材

——晴れやかな会見だった。
「急遽(引退が)決まったわけでもなかったですし。5年間くらい思いながらやっていたので。晴れやかといいますか、やりきった、振り切りすぎたくらいだったので」

——気持ちのバランスが完全に引退に傾いたのが今年だった。
「そうですね」

——これという出来事があった?
「徐々にですかね。今年1月の自主トレでふくらはぎの肉離れがあったりとか、調子が上がらない中で、監督に開幕のホーム開幕戦(の登板)を指名していただいたにもかかわらずね。投げられなかったりとか、指のマメだったりとか。戻ってきても6月のDeNA戦の前日に39度の熱が出ていたので、実は。今までじゃあり得なかったので。そんな登板前に39度の熱とか出ないんですけど。風邪を引いたんでしょうね、多分。体調管理も体がうまく機能しなくなったりだとか、そういうのもいろいろあって。そっからですね、膝もおかしくなったり、ぎっくり腰みたいになって歩けなくなったりとか。いろんなこともあって、どんどん自分の中で、バランスというか。選手としての役割っていうのも終える年なんだなっていうのをだんだん感じるようになって。来年もね、気持ちとしては選手としてやれたのかもしれないですけど。選手をしてやるのと、また新たに違う形でホークスや野球界に貢献していくための勉強をしたいって気持ちはもちろんずっとあったので。それがどんどん、そっちの方が比率が高くなって、完全にこっち(引退)だな思ったのは7月くらいだったので。そこで何とか治したいなとは思っていたんですけど」

——球団は来期も契約を考えていた中での決断だった。
「なんて言っていいかはわからないですけど、球団からはそう言っていただきましたし。もちろんびっくりはされていましたけど」

——もう1年という思いは。
「自分の中では来年のイメージっていうのと(引退は)必ず来る日ですし。そういう比率がどんどん増えていったので。だったらもう1年でも早く、勉強っていう方にシフトしていきたいなっていうのが強かったので。1年でも早く、そういう勉強もしたい。そちらにシフトしたいなって思いましたね」

——5年前から引退を考えながらも、2年前には自己最速の149キロを出していた。
「逆にそういう思いを持っていたからこそ、進化できたのかなと思いますし。本当にいつ辞めてもいいじゃないですけど、1日1日をそういう気持ちでやっていたので。『壊れたら終わりだ』と思ってやっていましたし」

——何を勉強していきたい?
「野球もそうですし、野球以外のこともそうですし。今後また野球界、そしてホークスに戻ってこられた時に。今は本当に野球のことしか知らないので。それ以外のことも勉強したいと思うし、いろんな引き出しを増やせるようにやっていけたらなと思いますし。それはまだぼんやりですけど。今日をもって、そういう話をいろんな方に相談できると思うので、少しずつ。まずはゆっくりさせてもらいたいので。本当に22年間、野球を考えなかったことはなかったです。これからは考えなくてもいい時間が増えるのかなと思うので。ゆっくり休みながら、ぼんやりと少しずつ考えていきたいなと思います」

——この年齢まで続けられたのは、練習量が支えになっていた?
「それは間違いなくあると思いますね。練習っていうのはやっぱりやった分だけね。全てが自分に跳ね返ってくるとは思っていないですけど、やらないと跳ね返ってこないので。やった分だけ自分の小さな自信が大きな自信に変わっていくのが練習だと思っているので」

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

——自分のための引退試合をしないでほしいと。若い頃と考え方は変わってきた?
「若いときは引退試合っていうのを考えずにやっていましたし。やっぱりここまでやってきた中で、いろんな方に出会ったりして。その中で長くやったからこそだと僕は思うんですけど。僕はずっと22年間、真剣勝負をやってきたという自負は持っているので。やっぱり引退試合となると、どうしても野手の方が三振してくれたりとか、そういう空気はあると思うので。僕のプライド的には真剣勝負を22年間やってきて、アウトの中にその1つを入れたくなかったっていうのがあるので。野手の方にもアウトをつけさせてしまうっていうのもあるし。それが査定に響くこともあると思いまるし。それで(打率)3割にいけなかったり、.250が.249になる人もいるかもしれないですし。そんなことを考えたら僕はどうしてもそれができなかったので。オープン戦なら三振を豪快にしてくれても査定には響かないと思いますし。自分も三振を取って、笑って終われると思うし。真剣勝負の場では笑えないと思ったので。やっぱり22年間やらせてもらったからこそ、自分としては野球界での最後のわがままといいますか。それだけはしたくないっていうので。もし引退試合やセレモニーをやっていただけるのであれば、3月にできませんかと。ファンフェスティバルでのセレモニーというのも言われたんですけど。そこはもうファンに感謝するための日なので。自分のための日ではないので。そこでは絶対にしてほしくないってことは伝えました」

——野球人生において、アメリカでの4年間はどういう時間だった?
「自分がここまで長くやれるために学んだ4年間だと思います。自分はアメリカに行く前までは1軍でしかやってませんでしたけど(米国での)4年間はどちらかと言えばマイナーでの時間が長かったので。ファームで頑張ってる子たちの気持ちだったりとか、裏方さんの気持ちだったりとか。そういうのを直に知ることができたし。こんなにみんな頑張ってるんだなとかね。若いときはアメリカに行くことしか考えていなかったし。ファームのことはある意味どうでもいいじゃないですけど、目を向けることもなかったし。やっぱり帰ってきてからは、そういう目を持ちながら1軍で投げていたつもりです。若い子にやっぱり成長してほしい、頑張ってほしいという気持ちで接していたつもりなので。接し方も多分、昔ほどトゲのある形ではなくなったと思いますし。それは城所(龍磨2軍外野守備走塁コーチ)とか、明石(健志2軍打撃コーチ)とかにも言われましたけど。『全然変わりましたね』みたいな。森福(允彦さん)とかにも言われましたけど。その4年間で成長できたのかなと思いましたね」

——今年7月に家族へ伝えた時の反応は?
「(7月の時点では)嫁さんにしか言ってないんですけど。娘には一昨日の夜に言ったので。嫁さんには5年前から『そういうことがあったら辞めるから』っていうのは言っていましたし、娘にもそれとなく伝えてはいたので。『よくあれから5年間も頑張ったね』っていうか、『お疲れさま』とか。そんな感じですかね。娘もそうでしたけど。娘は最初びっくりしていましたけど。『今回は本当だよね』みたいな感じで。毎回自分がそう言うので。今回は本当なのみたいな感じで。まあ、本当にお疲れさまっていう感じで言ってもらいましたね」

——誰も泣くことなく?
「涙はないですね。娘はもしかしたら部屋で泣いていたかもしれないですけど。ちょっとウルっとはきていたみたいですけど。逆に嫁さんの方は、自分がいろんな方にお礼の電話をしているとき、涙ぐんでることが多かったですかね。自分と話すときよりも」

——結果的に現役続行という記事を書いてしまった。報道をどう見られていた?
「僕は決して(現役を)やるとは一言も言っていなかったので。隠し通せたんだなと。どこからも漏れずに。自分のシナリオ通りに……。まさか全紙がね、続行と書かれるとは思っていなかったので。そこはびっくりしましたけど。和田引退というのが(日本シリーズが終わった)次の日に出なかったので。隠し通せたなと。ファンの方にもちゃんとした形で、公式発表で伝えることができたので。それは記者さんにとって良かったか悪かったかはわかりませんけど。僕としては、いい形で伝えられたのかなと思っております」

——ダイエー戦士もいなくなった。
「もう本当に、1日でも長くっていう気持ちをみんなから託されて。何とか頑張ってきて、終わりになってしまいますけど。ちょっと寂しい気持ちはもちろんありますし、ダイエーの選手としても最後なので。寂しい気持ちはあります」

——ワクチンの寄贈活動も行ってきた。
「野球もそうですけど、やっぱり継続していくことは簡単なようで難しいと思っているので。それを引退するまで続けられたっていうことも、自分としては良かったなと思いますし。今後も関わっていきたいと思っていますし。また新たなルールを作って、貢献できたらな個人的には思っています」

——1学年上のヤクルト・石川雅規投手へのメッセージは。
「石川さんとも電話で話しをさせてもらいました。びっくりされていましたけど。石川さんはやっぱり200勝という大きな目標があるので、ぜひそこまでは。先に辞めた身ですけど、頑張ってほしいっていう気持ちですね」

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

——直球で空振りを取るスタイルを貫いた。
「自分としてはそれが一番アウトを取れる可能性が高いボールでしたし、空振りを取れる確率が高いボールだったので。歳をとっても磨いていきたいと思っていましたし、変化球でバッタバッタと空振りを取れるピッチャーではなかったので。軸はやっぱり真っすぐだと僕は思うし、どうやったら常に成長できるかっていう気持ちでやってきたので。当然、ずっと成長はできませんけど。そういう気持ちでやれたことで、ここまで続けられたのかなと思います」

——3月に引退試合をするなら、トレーニングも続けるのか?
「ね、どうしましょうか。1月の自主トレについては、若い子たちの何人かからもお願いしますと言われていて。さすがにそこで断るわけにはいかなかったので。自分としても引き続きという意味でも、お世話なった長崎の方々もたくさんいるので。1月は自主トレに全部行くかどうかは決めていないですけど。若い子たちに引き継ぎをして。今度は僕じゃなくて、そこに集まってる選手たちが慕ってくれる投手に、みんなが成長していってほしいなと思います」

——引退してやりたいことは?
「とりあえず、まずはゆっくりというか。常に野球のことしか考えていなかったので。寝る前もストレッチをしながら考えたりとか。それが毎日だったので。何もしないことが1番贅沢だと思いますし。一番迷惑をかけたのは嫁さんだと思いますし。今年に限らず、結婚してからずっと我慢をしてもらっていたので。アメリカに行くこともそうですし。今までできなかったことを、娘も含めて。まずそこからやっていきたいなと思いますし、自分もやれなかったことをやっていきたいなと。ゆっくりさせてください」

——会見では最初からずっと笑顔だった。
「自分にとってはもちろん引退はさみしい部分もありますけど、選手として終わっただけだと思っていますし。これでホークスと縁が切れるわけではないと僕は思っているので。これからの人生の方が大事ですし。ある意味、新たなスタートの日なので。今日、知ってます?一粒万倍日です。11月5日。何事をやるにもうまくいくというか、スタートするのに一番いい日っていうのを選んで、今日(引退会見を)お願いしたので。やっぱり新しくスタートするには今日という日が一番いいだろうと思って。球団にちょっと無理を言ってお願いをしたんですけど。いい日になったと思います」

——心境は。
「ほっとはしていますけどね。新たな人生じゃないですけど、スタートするっていう心境ですし。選手としては終わりましたけど、これからの野球界にどれだけ恩返しができるかっていうのが大事だと思うし。ホークスにどれだけ恩返しできるかというのだと思うので。野球しかしてこなかったので、野球以外で今度は貢献できるように。しっかりまた勉強しながら、ゆっくりしながら。またいつか呼ばれたときに、しっかりと期待に応えられるような人でいたいなと思っています」

——若い選手への期待は?
「僕もそうでしたけど、1日1日を悔いなく過ごしてほしいですし。改めて引退会見をさせてもらいましたけど、こうやって自分から辞めますと言えるのは本当に特別なことなんだなと。こんなにたくさんの人に集まってもらって。特別なことなんだなとすごく実感したので。やっぱりそういう選手になってほしいですし、自分でやり切れたと胸を張って言える選手になってほしいなと思います」

——大学4年間での転機は?
「やっぱり球速が出なかった自分が、スピードが出るようになって。バッターを打ち取れるようになって。大学の日本代表に選ばれて。そこで初めてドジャー・スタジアムを見たんですかね。昔のファウルグラウンドが狭くなる前の。その時に『いつかメジャーのグラウンドで投げたいな」と。こんなすごいところで投げられたら幸せだろうなっていう気持ちでしたけど。そこから大学で記録とかも作れましたし。大学での4年間でやったことっていうのは、間違いじゃなかったと思いますし。大学に限らず、中学もそうだし高校もそうですし、出会った仲間だったり恩師だったり。その方々のおかげで今の自分があるんだと思っているので。本当にいい出会いをしてきたなと、出会いに恵まれたなと思っているので。これからもそういう出会いを大切にしながら頑張っていきたいなと思います」

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)