同学年で敬語も「気を遣うな」 心を掴まれた初対面…柳田悠岐のリハビリを支えた“有馬記念”

ソフトバンク・柳田悠岐【写真:竹村岳】
ソフトバンク・柳田悠岐【写真:竹村岳】

5月31日の広島戦で負傷…約4か月のリハビリを支えた有馬大智トレーナー

 右脚の大怪我を乗り越え、グラウンドに戻ってきた柳田悠岐外野手。4か月ものリハビリ期間をそばで支え続けたのが、今年からチームに加わった有馬大智リハビリアスレチックトレーナーだった。同学年とはいえ、相手はスーパースター。「気を遣うなよ」。柳田の器の大きさを感じた一言だった。

 柳田は5月31日の広島戦(みずほPayPayドーム)で右ハムストリングを負傷。「右半腱様筋損傷」と診断され、長きにわたるリハビリ生活に突入した。6月上旬、初対面を果たした有馬トレーナー。2人の距離が自然と近づいていったのは、柳田の人柄があってこそだった。

 有馬トレーナーは熊本出身で、柳田とは同学年。「20歳からアメリカの大学に行って、卒業してからアメリカの国家資格を取りました。その後に半年間インターンをして、それからメジャーの全球団に履歴書を送りました」。声をかけてくれたのが、今は千賀滉大投手が所属するメッツ。マイナーリーグで本格的なキャリアをスタートさせた。

「僕は3Aまでしか経験はないですけど、キャンプ中はロースター枠に入っていない選手は3Aに来たりするので。そういう意味ではメジャーの選手も見ていました。(千賀投手との)面識はないんですよね。本人と直接というのは、秋のキャンプ中にちょっと話をした程度です」

 2023年のシーズンが終わって、帰国する決断をした。進路を考えていた中で誘ってくれたのが、ホークスの金村幸治ストレングス&コンディショニングチーフ(1軍担当)だった。異国の地で選手のために努力した経験が、縁を繋いでくれた。

「自分はメッツで5シーズン働いていたんですけど、その時に金村さんも(米国の)別の球団で働かれていて。同じカテゴリー(の仕事)だったので、面識がありました。日本に帰ってくることになって、金村さんから『(ホークスのトレーナー部門に)空きが出るから』ということで繋いでいただいて、ホークスに入団という形になりました」

外野を走る有馬大智リハビリアスレチックトレーナー(左)と柳田悠岐【写真:竹村岳】
外野を走る有馬大智リハビリアスレチックトレーナー(左)と柳田悠岐【写真:竹村岳】

 リハビリ担当を任され、6月上旬には柳田と初めて顔を合わせた。ファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」のトレーナー室。「(柳田選手が)入ってきて、『よろしくお願いします』と。どういう感じかなと思ったんですけど、やっぱりちょっと申し訳なさそうでした」と振り返る。怪我をした直後だったためか、少し元気がなさそうにも見えた。その場にいた先輩トレーナからは「同い年じゃないか」と背中を押された。最初は敬語で話していた有馬トレーナーに、柳田も笑顔でグッと近づいてきてくれた。

「気を遣うなよ」

 飾ることのない柳田らしい言葉。有馬トレーナーも「ありがたかったですね。もちろん気を遣う部分はありますけど、そんなにストレスなくコミュニケーションを取らせてもらいました」とすぐに心を掴まれた。大の競馬好きで知られる柳田からは「僕が有馬なので、『有馬記念』と呼ばれています」と、らしさあふれるあだ名もつけてもらった。「僕は裏方ですから、『柳田さん』とか『柳田選手』と呼ばせてもらっています」と笑いつつ、リハビリ担当としてチームの顔を預かる重圧を感じながら、地道な日々をともに過ごしてきた。

「すごく話しやすかったです。リハビリなので若い選手もいるんですけど、壁を作ることなく普通に『どうなん?』っていう感じで話していました。本当に、そのままだなと。オープンな方だなと思いました」

 若手にも優しく接している姿を、一番近くで見てきた。柳田から感じたのは、これまで見たとこがない継続力と、裏方へのリスペクトだった。復帰までにかかったのは約4か月。次回ではリハビリが「上手くいった要因」に迫っていく。

(竹村岳 / Gaku Takemura)