痛めた背中は「ひどかった」 強いられた“難しい判断”…中村晃の体を襲った症状とは

ソフトバンク・中村晃【写真:竹村岳】
ソフトバンク・中村晃【写真:竹村岳】

2軍戦で実戦復帰して3打数1安打「打席の感覚は違和感なく行けました」

 自らの状態について、具体的に言及した。ソフトバンクの中村晃外野手が5日、ウエスタン・リーグのオリックス戦(タマスタ筑後)で実戦復帰を果たした。「2番・一塁」で先発出場し、3打数1安打で途中交代。「普通だったかなと思います。打席の感覚は、そんなに違和感なく行けました」と振り返った。8月12日に登録抹消されて以降、実は「ひどかった」というコンディションについて、説明した。

 初回1死、スタンドからの拍手に包まれながら打席へと向かった。右腕・権田の5球目を打って中飛。3回2死では空振り三振に倒れた。見せ場を作ったのは5回2死二塁だった。粘りながら迎えた6球目を中前に運び、チャンスを広げた。「2軍も優勝争いしているので、足を引っ張るわけにはいかない。なんとか点に繋がるヒットを打ちました」と振り返った。

 登録を抹消され、リハビリ組に移行した。当時、小久保裕紀監督は「(治るまでは)10日かからないと思いますよ。10日で一応戻す予定にはしているんで。僕もよくやった“ぎっくり背中”みたいなやつです」と説明していたが、1軍から姿を消して1か月が経とうとしている。背中の症状は「ひどかった」というのだ。

「(発症した)その日はバットを振れなかったです。背中(を痛めること)はよくあるんですけど、その度合いがちょっとひどかった感じです」

 抹消された翌13日は、ベルーナドームへの移動ゲーム。9連戦の真っ只中だっただけに「難しい判断ではありました」と語る。「バリバリのレギュラーの時だったらどうだったかな(我慢したのかもしれない)と思いますけど……。すぐに遠征がありましたし、チーム的にも、9連戦というのを考えてしまった」と、チームと自分の状態を照らし合わせて、時間をもらうことになった。21日の楽天戦(楽天モバイルパーク)を終えて、石塚綜一郎捕手との入れ替えで1軍に昇格する予定だったが、体調不良も重なり、リハビリが長引いてしまった。

「ヘッド(奈良原浩ヘッドコーチ)と相談して『10日で状態を戻して、2軍で打席に立つなら立って来ればいいんじゃないか』という判断でした。僕もそう思ったので、その時(背中を痛めた時)はそういう予定でした。発熱もあったので、10日で復帰とは行かなかったんですけど」

 久々の実戦を終え「怖さはないです。背中を痛めたのも初めてのことではないですし」と頷く。1軍となれば当然、チームのためだけに全力を尽くすことになる。「行かないとわからない部分もありますけど、いつまでも怖がっていても仕方ないので、そこは自分で腹を決めていきたいなと。実戦に入って、腹を決めていこうという気持ちはより高まってきました」。力強い勝負師の顔が、帰ってきた。

 1軍で戦ってきたチームリーダー。松山秀明2軍監督も「あれくらいの選手になると本人任せ。自分の体のことも、どうすれば打撃の調子が上がってくるかも、本人が一番わかっている」と調整は一任してきた。「野球に対して真面目で前向き。こちらが心配することはないし、彼がやりやすいようにしてあげるだけです」。1軍への道のりが短くなるように、少しでも有意義な時間を過ごしていくつもりだ。

 1軍はこの日、一部の投手が練習を行った。中村晃は「若鷹寮」で石塚と顔を合わせたといい「頑張れよと伝えました」と明かす。高卒5年目のスラッガー候補は、10試合に出場して打率.227、1本塁打、5打点。必死にチャンスを掴もうとする姿には、中村晃も「素直に応援しています」と言う。11月に35歳を迎え、心境にも変化が生まれていた。「変わるんでしょうね。昔だったら絶対に自分も負けてられんという感じもあったんですけど、そこは超えてしまったのかなと」。若手の活躍が嬉しい気持ちが芽生えてきた。一緒になって、1軍を勝たせたい。

 9月3日には、第1子となる男児が誕生したことも球団から発表された。出産に立ち会うこともできたそうで「家族のためにというか、子どももできて、守るものも増えたので頑張りたいと思います」。静かな口調の中に、父親になった実感が溢れ出ていた。すぐに自分の調子を取り戻し、重圧と緊張感が漂う1軍に舞い戻る。「腹を決めて、行きたいなと。応援してくれる人ばかりなので、頑張ります」。何度も覚悟を口にした。

(竹村岳 / Gaku Takemura)