「壊れる」直前だった2人の若鷹…首脳陣は怪我をどう防いだ? 存分に生きた「球団の制度」

ソフトバンク・大野稼頭央(左)と木村大成【写真:竹村岳】
ソフトバンク・大野稼頭央(左)と木村大成【写真:竹村岳】

大野稼頭央から打ち明けられた“衝撃”

 球団が新設した制度が存分に効果を発揮した。未来ある若鷹の怪我を防いでみせた。ソフトバンクの奥村政稔4軍投手コーチ補佐は、昨季限りで現役を引退。指導者として1年目のシーズンを過ごす中で、選手と一緒に成長している。32歳の新米コーチではあるが、眼力が生かされた出来事があった。「壊れる」直前だった大野稼頭央投手と、木村大成投手にかけたアプローチとは?

 2月の出来事だった。奥村コーチは大野のブルペン投球を見て驚愕した。「去年のいい時からしたら、(球速が)15キロくらい遅かった。怪我しよんかと思いましたもん」。今でこそ140キロ台にまで戻った直球は、春季キャンプでは120キロ台後半だったという。すぐさまヒアリングすると“衝撃の事実”を打ち明けられた。

「稼頭央は(1月に)和田さんのところへ自主トレに行って、インフルエンザになって体重がめっちゃ落ちたんです。和田さんの自主トレはとにかく走るし、ハードじゃないですか。それができないまま来ているなっていう印象でした。『どうしたん稼頭央』って感じ。星野さん、川越さんに『稼頭央、このままいったら危ないんじゃないですかね』っていうのを話して。1回(通常メニューから)外して、体作りをすることになりました。『どこか痛いところあるんか』って言っても、ないと言うので。原因は体だと思いました」

 大野も「このまま投げていてもなんか体が壊れるような気がして……」と言う。星野順治コーディネーター(投手)、川越英隆4軍投手コーチ(チーフ)の元へ、すぐに報告は持ち上がった。話し合いの結果、体作りを優先させることになった。奥村コーチは「支配下の選手ですし。そんな状況で(本人が状態を)上げないといけないってなっても、壊れると思った。自分が止めていなくても、誰かが止めていたと思います」と振り返る。若鷹の未来を守ってみせた。

 ホークスでは、今季からコーディネーター制が本格化している。4軍が新設され、選手もコーチも多くなった。指導を統一することが最大の目的だ。奥村コーチも「あのままやらせていたら、どうなったんやろうなって思います。選手が良くなるために、その流れができたというか。今年、コーチ陣もいろんなことに取り組んでいます。“ホークスメソッド”を作ったりしている中で、稼頭央はすごくプラス材料になりました」と、貴重な経験となったようだ。

 大野の異変は今年2月、筑後で行われていたC組キャンプでの出来事だった。当然、チームの投手部門トップである倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)も把握している。「星野コーディネーターが僕に情報の詳細を報告してくれるので。よくやってくれています」と頷く。倉野コーチが、各軍でチーフの肩書きがつく投手コーチとやり取りをすることはない。2軍から4軍を巡回する星野コーディネーターとの情報交換は毎日のように行われており、投手の状態はどんな時も指導者全体で共有されている。

 当然、1軍からファーム降格となった選手についても情報をシェアする。「全部、報告書をみんなで共有しています。ファームに送り込む選手のレポートは僕が渡しますし、毎日試合の報告もファームから上がってきています。そういうレポートシステムはちゃんとしていて、それだけでわからないところは電話で聞いたりしています」と倉野コーチ。報告、連絡、相談を徹底して、時には怪我から守る。指導者1人1人がプロ意識を抱き、選手たちと向き合っている。

ソフトバンク・奥村政稔4軍投手コーチ補佐【写真:竹村岳】
ソフトバンク・奥村政稔4軍投手コーチ補佐【写真:竹村岳】

 同様の事例が、木村大にもあった。北海高時代には150キロも記録していた高卒3年目の左腕。今季の開幕以降、コンディションが上がらない姿を見た奥村コーチは「話を聞いたら意図的にダイエットをした、と。そこからまた川越さんとプランを組んで一からやっていこうとなりました」と明かす。倉野コーチも「それも本人が良くなろうと思ってやったことですから、いいチャレンジだと思います」と語った。選手と首脳陣が日々のコミュニケーションを取り、適切な距離感を保っているから、わずかな異変にも気が付くことができた。

 大野と木村大、2人が「いい例になった」と奥村コーチは表現していた。指導者にとって、成長しようとする選手の練習を止めるのは勇気がいること。倉野コーチも「止めるという判断は僕と星野がしますけど、そういう見立てをしてくれたのは奥村コーチの力。そういう意味でも選手をちゃんと見ていますよね。しかもその後の(大野、木村大の)結果もよかったですし、パフォーマンスを上げるためにミニキャンプを張るという提案をしてくれたのは大きかったです」と手をたたいた。

 2年間、米国で指導者としての経験を積んだ倉野コーチ。メジャーでも「コーディネーターが統括していますし、向こうはすごいですよ。仕事量が半端ないです。僕とか、おこがましいくらい。『いつ寝てるの』って何回も聞きましたもん」と笑いながら振り返る。ホークスでも浸透してきた指導の統一。「当たり前のことです。これだけ人が多ければ、理論も感覚もみんな違う。それを誰かがまとめないといけない」と、力強く話していた。

 32歳でキャリアを積み始めたばかりの奥村コーチ。倉野コーチも「学ぶことはたくさんあると思うけど、すごく情熱を持ってやってくれている。すごく熱いですよね。そういうコーチ像は僕は大好きだし、伸びていくんじゃないかなと思いますよ」と太鼓判を押した。選手と一緒に夢を叶えるために、情熱と愛情は惜しまない。

(竹村岳 / Gaku Takemura)