泣きそうになるほど覚えた危機感 励みになった牧原大成との食事…山本恵大から消えた“笑顔”

ソフトバンク・山本恵大【写真:竹村岳】
ソフトバンク・山本恵大【写真:竹村岳】

勝負の6月に絶不調「これだけ打てないのは初めて」

 一度は消えた笑顔だった。どん底を味わい、前を向いた。3年目の今季も7月31日の支配下登録期限を3桁の背番号のままで迎えた山本恵大外野手は、清々しい表情で練習に励んでいた。

 期限の迫る6月、山本は苦悩していた。「こんなに打てないことはなかった。プロに入って、というか、大学の時とか高校の時も含めてあまりなかった。これだけ打てないのは初めて」。表情が歪む。陥ったことのなかった大スランプ。プロ入りして以降、怪我に苦しめられたが、そうでなければ、3軍で常に成績を残してきた。

 今季は2軍で自己最多の14試合に出場中しているが、37打数6安打1本塁打、打率.162とアピールできていない。「何がなんだかわかんない状態。どうしたら打てるかな……」と、バッティングのことで頭はいっぱい。調子が上がらないことで、気持ちも落ち込んでいった。

 時期も時期だった。支配下登録期限が迫り、球団の見極めも進んでいくタイミング。「(不調の)タイミングが悪いと思うんです。大事な時期っていうのはすごくわかっているんですけど、3年目で結果も求められる」。昨季とは違い、今季は支配下の枠も空いている状況だった。山本自身もこれまでの主戦場だった3軍から2軍に上がり、出場機会も得られていた。

 支配下を狙う上では絶好のチャンスという中で絶不調に陥った。「久しぶりに結果が出なくて泣きそうになりました。本当、中学生とか小学生の時ぶりくらいです。打てなくて悔しくて、結構きてました。それでも、やらないといけないんで、やらないと……」。悲痛な思いはヒシヒシと伝わってきた。

 勝負強さが持ち味の1つだった山本。「“勝負強い”で生きてきたんですけど、勝負しないといけない時にこれなんで。調子いい時ってすごく楽しく野球できてるんですけど、あまり楽しく野球できていなくて」。試合を中継などでチェックしていた家族からも「もっと楽しくやったらいいじゃん」「笑顔が減ってるよ」と連絡が来るほどだった。

 苦悩の胸中を吐露している最中だった。通りかかった牧原大成内野手が「メシ連れてってやろうか」と声を掛けた。そのあと、2軍の遠征中に実際に食事に誘ってもらった。「すごくいい経験ができたし、楽しかったです。励みになったし、前向きになれたかな」。先輩との何気ない時間が山本にとって心が晴れる瞬間となった。

 7月に入って椎間板性腰痛で一時、戦列を離れることになった。無理をしてでもプレーを続けたい思いはあったが、トレーナー陣からのストップがかかり、3~4週間の離脱に。時期を考えれば、その時点で7月末までの支配下昇格を逃すことが決まったようなものだった。

 期限の迎え方としては最悪だった。ところが、7月末、山本の表情はどこかスッキリとしていた。

「なにか解き放たれたというか、リハビリで切り替えられたんで、今はスッキリしています。2軍にいて、もしかしたらチャンスがあるかも、という中で野球をやっていたんで、その時期に大したことない怪我でリハビリ組に入りたくなかった。結構、無理してやっていたんですけど、なっちゃったものは仕方ないので」

「8月から残りの試合は全力でやって、もし来年もあったら、来年頑張って目指していこうかなって。ここで腐って、もし今年で終わりだったら、嫌な印象で終わっちゃうのが嫌で。だったら、もう最後まで楽しむというか、頑張ってやって、来年に繋がればいいですし、ダメならダメでしょうがない。楽しかったって思えるようにやりたいです」

 泣きそうになっていた山本の姿はもうない。何か殻を破ったような表情だった。

 リハビリ組にいるときに、4人の育成選手が支配下登録された。そのうちの1人、石塚綜一郎捕手は左右の違いこそあれ、同じ打力が持ち味の野手だった。「石塚が上がったので『チャンスはあったのか!』っていう感じですね」。意識してきた存在だったからこそ、結果さえ出せていれば自分にも可能性はあったのだと、光を感じた。

 家族や優しい先輩の存在も励みになった。同僚の支配下登録にも刺激を貰った。まだ諦めるには早すぎる。ポテンシャルの開花を期待したい。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)