突き付けられた現実は厳しい。開幕前の支配下昇格が叶わなかった中村亮太投手はこう口にする。「もしここで支配下になっていても、全員から認められたとは思わない。誰もが『あれは1軍レベル』『チームに欲しい』と思われての支配下、みんなに認められての2桁背番号を掴みたい。今回の自分の成績や周りの評価からしても、こうなったのは妥当なのかなって」。そう語る口調に覚悟が帯びる。
育成選手として入団し、プロ4年目になる今季は春季キャンプもA組でスタートした。昨季2軍でリーグ最多の53試合に登板したタフネス右腕は、当時2軍監督だった小久保裕紀監督が幾多の厳しい場面でマウンドに送り出して信頼を寄せていた。それに応えるように中村亮も、特に後半戦では抜群の安定感を見せ、2軍では欠かせぬ存在だった。
小久保監督が1軍の新指揮官となって迎えた2024年。昨季の働きを踏まえた上でのキャンプA組スタートだった。中村亮自身も開幕前の支配下登録を目指して自らを追い込んできた。しかし、それは叶わなかった。「正直、開幕での支配下を目指して自主トレに取り組んで積み重ねてきたものがあって、なかなか成績が残せずにこういうふうになって……。その時はちょっとへこみました」と苦しい胸の内を溢す。
今、見据えているものは1つしかない。誰もが認める支配下登録を掴みたい――。
中村亮は2年目の2022年、一度は支配下登録を掴み取った。だが、同年オフに戦力外通告を受け、再び育成に。当時を振り返る言葉は実に厳しいものだった。「正直考えてみたらコロナ期間も重なって、投手がいないっていう中での支配下登録っていうのもあった。一度、支配下になってはいるんですけど、思い返したら、即戦力だという目線での評価はまだ一度もされていないって自分の中では思っているので」。
中村亮の場合は、一度、支配下登録を経験しており、実際には“支配下復帰”となるが、本人はそうは思っていない。“認められて”支配下になりたい、それが中村亮の本音だ。だからこそ、目指すのは目先の支配下登録ではない。
「もっとそこは自分に厳しく、もっと上で何年も何年もやっていくと考えると、支配下になるという目標だけだと、本当にそこだけで終わっちゃうと思ってます。また今年そうやって支配下になれたとしても、そこでまた終わっちゃうと思うんで。1軍で中継ぎとしてチームに欠かせない投手って思わせるためには2軍で圧倒的な数字、成績、ボールも含めてやっていなかいと。『早く1軍に来て投げてほしい』って全員が思ってくれて、誰もが『何で2軍にいるの?』って思ってくれるぐらいの力をつけて行けば、自然と支配下にもなって、上でもいい成績を残せると思う」
中村亮の言葉は自然と熱を帯びていった。
オープン戦終盤にホークスは緒方理貢外野手、仲田慶介内野手、川村友斗外野手の3選手を支配下登録した。これで支配下の枠は残り5つになった。3選手は支配下登録されたその日から、新しい2桁の背番号を付けたユニホーム姿で練習を行った。まだ1軍に帯同していた中村亮は3人の真新しい背中を静かに見つめ「毎日、必死になって結果を求めてやっている姿を見ていたので」と感じていた。
「やっぱり名前の挙がる回数だったり、周りの評価も含めて、誰もが(支配下に)なるだろうって、なってもおかしくないような姿を見せていた。野手の層が厚いだけに、スタメンで出る、出ないはわからないですけど、でも、今後を考えても、ああいう選手が支配下になるんだなっていうのは見ていて思いました」。姿勢、実力、結果……。3人の支配下昇格は素直に受け止められた。
ここまで投手の育成から支配下への昇格はない。チャンスはあったが、望むようなアピールが出来なかった。悔しいに決まっている。それでも、中村亮は自らに向けた厳しさをハッキリと言葉にする。「今回、2軍に落とされたのも当然だと思っています。でも、ギリギリまで開幕メンバーを争った中にいられたのは今後に繋げていきたいです」と、真っすぐ前を向く。
「長い人でも35~40歳まで(現役を)できたらすごいと言われますけど、今年26歳で、あと10年ちょっとで野球を終えるって考えたら、本当に1日1日に無駄な日がないように、やることが何事にもいい結果に繋がってくると思うんです。今は支配下になることはもちろんですけど、本当に1軍で活躍することを考えてやっています」。高いレベルを目指し、己と向き合う中村亮。“誰もが認める支配下登録”をその手に掴む日を心待ちにしたい。