5日、6日のヤクルトとのOP戦で増田珠と再会…同級生の中心だった元気印
自分を突き動かしてきてくれたのは、常に危機感だった。9日に行われたロッテとのオープン戦(ZOZOマリン)で決勝の3ランを放ったのが、育成の川村友斗外野手だった。「昨日納得できる結果を出すことができなかったので、とにかく積極的に思い切ってスイングをと打席に入りました」と頷いて振り返る。
7回1死一、二塁で打席へ。左腕の坂本と相対すると、1ストライクからの直球を振り切った。打球は放物線を描いて右中間に着弾。2月の春季キャンプ中、野手では仲田慶介内野手と緒方理貢内野手とともにA組で完走。限られた枠に入っていくためには結果を出すしかなかったが「最高の結果となって良かったです。とにかく結果でアピールしていきたいです」と笑顔でホームインした。
2021年のドラフト会議で、育成2巡目指名を受けて仙台大からプロ入りした。昨季もオープン戦で本塁打を放つなどアピールしたが、支配下登録には至らず。「結果が出なかったら強制的にクビになっちゃう年」と、3年目の2024年を位置付けている。昨年11月上旬からは約1か月、プエルトリコのウインターリーグに参加。向かっていた道中で知ったのは、同級生の戦力外だった。
「ウインターリーグの移動中で、アメリカを経由してからプエルトリコに行く予定でした。アメリカに着いた時に電波が回復したのでケータイを見たら『増田珠、戦力外』ってなっていて、マジかよって思いました。電話はしたんですけど、会えないままだったので(オープン戦で)会えて嬉しかったです」
昨オフに戦力外となり、ヤクルトに移籍した増田珠内野手。チーム内でも衝撃だったニュースを、川村は異国の地で知った。横浜高出身で、アマチュア時代から同世代を引っ張ってきた存在。北海高時代に甲子園に出場した川村も「僕も高校から名前は知っていました。同じ甲子園に出た時(2017年)も、横浜の試合があったのを見ていて、田浦(文丸投手)との戦いもバスで見ていました」と懐かしそうに振り返る。
大学を経て、プロの世界でチームメートとなった。「何回かご飯にも行きましたし、仲良かったと思いますよ」。正木智也外野手やカーター・スチュワート・ジュニア投手、リチャード内野手ら個性派が集まる1999年組だが「珠が全部、ご飯行こうって呼びかけてくれるので。珠が発信源でした」と、中心はいつも増田だったそうだ。今月5日、6日のヤクルトとのオープン戦ではグラウンドで再会。「嬉しかったです。元気そうでした」と笑顔で話す。
プエルトリコでは、同い年の選手が夢を掴む姿を間近で目撃した。日本と同じく、海外の選手にとってもウインターリーグは“武者修行”、そしてアピールの場だ。「僕の同級生の外野手で仲良くしていた選手が、一緒にいた1か月でメジャー契約に変わっていました。来年から。それを目の当たりにして刺激を受けました」と、アメリカンドリームを手にした選手がすぐ近くにいた。
その選手は、ガーディアンズのジョナサン・ロドリゲス外野手。川村と同じ1999年生まれで、右投げ右打ち。「同級生って最初の方にわかって、(ポジションも)外野だったので、仲は良かったと思います」。同世代であることは、異国の地でも距離を縮める大きな理由になった。プエルトリコ出身だが「静かで寡黙なやつでした。ホームランを打っても静かでしたし」と、陽気なイメージとは違った選手だったそう。
自分は支配下登録という“夢”を目指しているが、メジャーリーガーが誕生する瞬間を目撃したことは、刺激に変わった。プエルトリコで学んだのは、1球への執念だ。
「失敗を恐れないことです。向こうの人たちは感情表現がすごい。打ったらすごく喜びますし、打てなかったらヘルメットが壊れるんじゃないかってくらい叩きつけたり。全部が全部、見習うわけじゃないですけど、1打席、1球に対する思いがありました。海外に行くまでは『楽しくやっているのかな』って思っていましたけど、本気でやっているところを感じました」
ホークスの1999年組も、横の繋がりは強い。ヤクルトのユニホームを着た増田と再会したことも「僕はまだ3桁ですから。2桁にならないと戦えないですし、リーグも違いますから。戦う機会も2桁にならないとないので、頑張りたいと思います」と決意を新たにした。オープン戦も、中盤に差し掛かる。置いて行かれないように、必ず追い越していけるように。全てをかけて、2桁を勝ち取る。
(竹村岳 / Gaku Takemura)