板東湧梧にとって甲斐野央は「憧れみたいな感じ」…リスペクトした一面を明かす
初めて「敵わない」と思った。真剣勝負であり、人生をかけた仕事でもある野球はもちろん、グラウンドを離れても半端なかった。甲斐野央投手が人的補償で西武に移籍。同期入団の板東湧梧投手が振り返るのは、寮内のたわいもない日々。「今はもう僕がボコボコにされます」という思い出に、甲斐野の人柄が詰まっていた。常に白黒ハッキリつけたがる2人の“負けず嫌い伝説”だ。
2018年のドラフト会議、東洋大から甲斐野は1位指名を受けた。板東はJR東日本から4位で入団。「YouTubeで見たことある、くらいでした。球速いピッチャーが東洋におるんやなって」というほどの印象ではあったが、2人の野球人生が初めて福岡で交わった。2018年、宮崎での秋季キャンプに見学に行った時が初対面。時間をかけて、関係が深まっていったのは2人が寮生活をスタートさせてからだった。
1年目の2019年、甲斐野はいきなり65試合に登板。野球日本代表「侍ジャパン」も経験し、一気に世代の代表にまで昇り詰める。一方で板東は、同期入団の投手の中で唯一、1軍登板がなかった。「同期の中でも飛び抜けていましたし、憧れみたいな感じでした」と常に追いかける存在だった。どんな世代でもドラフト1位は、その年の代表。甲斐野の活躍と人柄に、自然と人は集まった。印象に残っているのは、まだ「若鷹寮」にいた時のたわいもない日々だ。
「ダーツ大会したのが懐かしいです。あいつどんどん上手くなって、僕が一番上手かったのに、最後はあいつと“サシ”になって戦っている感じでした」と、こんな時すらお互いに負けたくなかった。「あと『スマブラ』もそうなんですけど……」。対戦ゲームの「大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ」で、甲斐野がどんどん腕を上げていったことを色濃く覚えている。板東はピカチュウ、甲斐野はガノンドロフとゼルダを駆使して、何度も白黒をつけてきた。
「央、最初はヘタクソでボコボコにしてたんですけど、あいつすごく負けず嫌いで、今はもう僕がボコボコにされます。もう相手にならないくらい。あいつのそういうところはガチで尊敬します。僕も結構負けず嫌いですけど、敵わないです。元々センスもあるやつなんですけど、マジで負けず嫌い。先を読む力、勝負感があるタイプですね。そういうところもピッチャーっぽいです」
負けず嫌いはもちろん、グラウンド上でも感じ取っていた。甲斐野は口数こそ多いものの、メディアの前では誰かを名指しするような形で、負けたくない思いを表現する選手ではない。それでも、板東は甲斐野からほとばしる“燃ゆる思い”がひしひしと伝わっていたという。1度は、自分の手で確かな居場所を築き上げたからだ。
「それはやっぱり、藤井が来た時ですね。自分がやってきたところもあるじゃないですか。あんまり野球に関しては言葉には出さないんですけど、藤井の姿を見て『負けとれん』っていうのは見て取れました。マツもそうですし、同年代ですしね。最初は自分が7回、8回を投げていたのに、っていう悶々しているところはあったんじゃないかなって思います」
昨季は9回にロベルト・オスナ投手という守護神が控えていた。7回、8回の男として必勝パターンを担ったのが同級生の藤井皓哉、松本裕樹両投手だった。公には言葉にしなくとも板東は「絶対それはあるっす」と、藤井と松本裕に反骨精神を抱いていたことを代弁する。1996年組の同級生会は頻繁に開催されるだけに、グラウンド外に感情を持ち込むことはなかったが、甲斐野の気持ちは周囲にまで伝播していた。
プロ野球の世界に飛び込んでくる選手なら、誰もが負けず嫌いだろう。その中でも、負けたくないからこそ周囲と壁を作って“孤独”になってしまう選手もいる。一方で一番になりたいという思いを抱きながらも、誰からも愛されたのだから、甲斐野の人柄はリスペクトされていた。「応援したくなるというか『そうだよな』って思っちゃうんです。『何言ってんねん』じゃなくて『お前がおった方がいいよな』って味方につけるようなやつでしたね」と板東も表現する。負けたくない気持ちはあるが、不思議とついていきたくなる。甲斐野はそんな存在だった。
「あいつも言ってくれたんですけど、やっぱり負けたくないですよね。同期として僕は下から入ってきて、遅れて出てきた。年俸の話も、僕はやっと央に追いつけた。ずっと先を行っている選手ですから負けたくないですし、でもこれからもプライベートの話も一緒にしていきたい選手です」
2018年ドラフトで指名された支配下の同期入団は杉山一樹投手と野村大樹内野手、板東の3人だけになった。心から応援、リスペクトするからこそ、甲斐野にだけは負けたくない。次に会うのは必ず、真剣勝負のマウンドだ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)