金村暁氏とフリオ・ズレータ氏の壮絶な“どつき合い”に「お前らどいとけ」
鷹フルでは、楽天の川島慶三2軍打撃コーチに単独インタビューを行いました。全3回のうち、今回は第2弾。テーマは「盟友・松田宣浩」です。2022年オフにホークスを退団した松田選手は、巨人に移籍し、今季限りで現役を引退。ホークス時代から同級生として、ともに戦ってきた川島コーチが感謝を語ります。松田選手の引退試合で、川島コーチから送ったアドバイスがあったそうです。今も忘れられない“乱闘”を通して確かめ合った絆とは?
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松田宣浩の現役引退が巨人から発表されたのは、9月28日だった。川島コーチも「本当に一言じゃ表せないですけど『お疲れ様』っていうのを心から伝えたいですね」と、一番に労いの言葉をかける。2022年オフにホークスを退団して、巨人へ移籍。しかし2023年、1軍ではキャリア最小の12試合出場に終わった。2軍暮らしが長かったことで川島コーチとも顔を合わせることが多かったが、1軍にいなくとも、熱男は熱男だった。
「変わらずに、若い子よりも誰よりも声を出していて、それに引っ張られたジャイアンツの若い子が松田を慕って。我々もしないといけない姿。ジャイアンツの若い子もその姿を見ていましたし。その中で、2軍とはいえ(巨人と楽天は)優勝争いをしたんですけど、やっぱり松田の力ってすごいな、偉大だなって思いました」
記者会見もしっかりと見て、引退試合もテレビの前で観戦した。「最後まで釘付けでした」。引退を決め、世話になった1人1人に連絡をした松田。川島コーチも連絡をもらったそうで「引退試合が決まる時も『引退試合、初球打たない方がいいかな?』とかいう相談もされて、『打つな、絶対打つな』って(笑)。噛み締めて、三振でもいいから尺を長くしろって、そんな話をずっとしていました」と悪戯っぽく笑う。そして最後に、背筋を伸ばして感謝の言葉を伝えたという。
「マッチからは『今年で終わります』と報告されました。『一緒にできて、本当に良かった』と言ってくれましたけどね、彼から。僕は本当にお疲れ様、同級生だったけどマッチと一緒に野球ができて、こっちの方が背中を押してもらって、ずっと引っ張ってもらって。君がいたから、君がいなかったら、僕も早く野球人生終わることになっていたと思うし。君の存在で、長くやれたと思うっていう言葉はかけました」
改めて伝えた感謝とリスペクトも、恥ずかしくなんかない。「2人になった時とか、飯行った時とかは『いやー、お前本当すごいな』とか、そういう仲なので。改めて言うことじゃないけど『ありがとう』っていうのは言いました」と、常日頃から伝えてきた言葉だから、節目の連絡でもスッと出てきた。今は別々のチームのユニホームを着ていても、垣根を越えた友情が2人の間には確かに存在する。
川島コーチは2021年オフ、松田は2022年オフにホークスを退団した。ともに現役続行を希望。ホークスファンからは別れを惜しむ声が相次いだ中で、松田は結果的に川島コーチと同じ道を辿った。「ファンの皆さんとかは『ホークスで引退試合をした方が良かった』という方もいると思うんですけど……」。もちろん、ファンからの愛を理解した上で、松田の決断がどれだけ尊いものなのか。川島コーチだから、理解できる。
「マッチに関しては違うところで1球団。彼の人生からしたら、もう1つの球団を見させてもらったのは大きいことだと思います。僕も4球団を渡り歩きましたけど、その球団によって『ここは違うだろ』と思うこともありますけど、それ以上に、楽しい、感謝の気持ちの方が勝つので。いい経験をしたんじゃないですかね。彼も1年でも行けて良かったと言っていました」
松田が強くこだわったのは、40歳まで現役でいること。川島コーチも当然それは知っており「彼は年齢にもこだわっていましたし、長くやりたいというのもこだわっていました」と代弁する。経験した球団の多さに関しては「僕の方が先輩なので」と笑いながらも、「でもジャイアンツさんにとっても、いい人を1年取ったんじゃないですか」と、松田の“最後の1年”に、どれだけの価値があったのかを理解しているつもりだ。
1983年生まれの2人。2005年のドラフト会議で、亜大の松田は希望枠でソフトバンクへ。九州国際大の川島コーチは3位指名で日本ハムに入団した。大学時代には試合をした経験もあり「1年目、大学でも秋の神宮大会でもやっていますし。その時は話していないですけど、松田の存在は知っていました。これがプロに行くやつか、って大学1年生の時に勝手に思っていました。しっかり神宮大会でも1年目から結果を出していましたし、そういう姿を見ていました」と懐かしそうに語る。
2人は1年目から1軍で出場機会を得ていた。確かな“絆”を感じたのは、2006年4月16日。日本ハムの金村暁投手が、ソフトバンクのフリオ・ズレータ選手の胸元に死球をぶつけた。ズレータが猛然とマウンドに向かい殴る、蹴るの大乱闘。川島コーチも「乱闘があったんですよ。ズレータと金村暁さんの乱闘があって」と語り出す。両軍が乱れ合う中で、2人はその光景を驚きながら眺めていたという。
「僕ら1年目で、後ろの方で『これがプロやな!』っていう話はしていました(笑)。乱闘の輪の一番後ろで、2人。これ入れんな、みたいな。お前らどいとけ! みたいな感じだったから」
松田は少しずつ結果を出し、球界を代表する選手になっていった。2014年7月にヤクルトからトレードでホークスに入団した川島コーチ。2014年を含めた8シーズンで6度の日本一に輝くなど、常勝時代を築いた。「それは後輩に聞いてほしい。僕らが言うことではないと思いますけど」と謙遜しながらも、松田と一緒に、自分なりにホークスに残したと思うものを語ってくれた。
「よく言ってくれるのは、一番に声。いかなる時も、自分の感情とかよりもチームのために声を出せるかっていうので、常勝軍団っていうのは作られていくっていうのを2人で常に言っていました。本当に細かいことを言えば、スリッパを並べるだったり、ロッカーを綺麗にするだったり、そういうところから、もう最後まで僕らはやっていましたよ」
自分の調子がいい時だけではなくて、常にチームのことを最優先に考えて動く。2人で行き着いた先は“人として”の部分だった。「スリッパも並べる、ロッカーも僕らが綺麗に片付ける、それを見て後輩が動くかなと思ったら動かない(笑)。でもこれは僕らの仕事だからって言って、後輩たちにさせる前に僕らでやろうって言って。そんな細かい決め事みたいなものは、あいつと僕の中でありましたね」。後輩にさせるのではなく、先輩が率先する。そんな“足跡”を、2人でホークスに残してきたつもりだ。
「(マッチは自分のことを)理解してくれていたとは思うけど。していたでしょうね。あいつも口下手だから、そういうのは伝えてこないけど。でもそういうのは言う必要もないし、グラウンド上で表現するのは個人ですから。それで認め合って、今までの仲になっているわけだから」
記録よりも記憶に残る選手。171センチの体で、人間性を含めた自分の全てを武器にして、17年間グラウンドで戦った。現役生活が終わった今もなお、思う。松田との出会いこそが、自分の人生にとっての大きな財産だった、と。
(竹村岳 / Gaku Takemura)