屈辱の登板をきっかけにして、目の前にだけ集中してきた。ソフトバンクの武田翔太投手が8月28日、登録抹消となった。代わって昇格したのが尾形崇斗投手と、古川侑利投手。ファームで好調を維持していた2人を、首脳陣は必要とした。武田にとっては無念の抹消。しかし、ブルペンで居場所を作るために、新しい取り組みを続け、1球1球に気持ちを込めて投げてきた。
武田にとって2023年は、決して追い風を受けるようなシーズンではなかった。首脳陣は石川柊太投手、東浜巨投手の2人にローテーションの柱としての役割を期待していた。結果的に開幕投手を託される大関友久投手や、リリーフから先発に転向した藤井皓哉投手、大補強の一部となった有原航平投手らと開幕ローテを争う。2022年、2勝に終わった武田の番手は、決して高くなかったはずだ。
今季初登板は4月21日のロッテ戦(ZOZOマリン)で、4回1/3を投げて3失点で黒星。佐々木朗希投手との投げ合いに、力なく敗れてしまった。転機となったのは、5月3日のオリックス戦(PayPayドーム)。2回11安打6失点という屈辱の内容で2敗目を喫し、斉藤和巳投手コーチからは「だからこの数年こんな感じなんやろ」とまで言われた。忘れられない、忘れてはいけない登板となった。
武田自身も「受け止めるしかない」と言うしかなかった苦言。何かを変えたくて、ファーム降格以降に始めたのがピラティスだった。呼吸とともにインナーマッスルを動かし、集中した状態を作ることで脳の神経を刺激しながら、活力を最大限に引き出す効果があるとされる。週に1回は入れられるようにし、デーゲームの後にそのままセッションを受けに行ったこともあった。
きっかけは、阪神の大竹耕太郎投手。公私ともに親交の深い左腕は、同じくピラティスを行う和田毅投手のもとで自主トレを行なっている。時間が合えばすぐにでもテレビ電話をするという大竹からヒントを得て「俺もやってみるわ」とスタートさせた。「和田さんとも、ちょこちょこそういう話をします」と、大先輩からも意見を取り入れて自分の取り組みに生かしてきた。
「めちゃくちゃキツいですよ。1回目が一番キツかったです。筋肉ない人ができたりするんです。(ピッチングに)生きているかどうかはわからないけど、意識しなくても変わっている感じ。使わなくてもいいところを使っていたなっていうのもあったし、使えてなかったところも使え始めたのもある」
6月7日、リリーフとして再昇格した。23試合に登板して、失点したのは4試合。32回1/3で防御率2.78と、ロングリリーフなど多様な起用に応えながら少しずつ1軍に居場所を築いてきた。「中継ぎは今の状態で、とりあえず勝負するって感じ。気持ちが大事」。ひょうひょうとしている右腕も、リリーフとなってからはマウンドで感情を出すようになった。1回1回の登板が勝負だと、誰よりも理解していたからだ。
その変化は首脳陣も感じ取っていた。斉藤和コーチも「今が1番目の色を変えてやっている」と語る。6月下旬の段階では「先発も、お互いの頭の片隅には残しておこうと約束しているので」と、チームの状況によってはもう1度先発としてチャンスを与える可能性を示唆していた。武田本人は「あるとしたら、どうしようもない時じゃないですか」と自分なりに予想しながらも、振り払うように言った。
「ないない、ないです。ないものだと思ってやっています」
先発だと2巡目や3巡目、さらには次戦のためにも相手打者を崩しておく必要など“計算”しておかないといけないことが多い。武田自身も「(先発は)早いうちにバッターに引っ張らせておくとか、甘い球が行ってしまった時の準備をしておく」と言うが、中継ぎだとゼロを並べることが仕事だ。2016年を最後に、2桁勝利から遠ざかる。“崖っぷち”であることを自分が一番わかっていたからこそ、1球1球に気持ちを乗せる中継ぎに、新しい自分の居場所を作る決意で日々を過ごしてきた。
9月1日、ウエスタン・リーグの広島戦(タマスタ筑後)では1回無失点。小久保裕紀2軍監督も「先発に回すことはこっちではない」と明言した。武田も「結果を出せなかったのは自分」だと首脳陣の判断を受け止める。結果を出し、状態を上げれば再昇格も必ずある。リリーフという新しい可能性を見せた武田翔太は、まだ何も終わっていない。