王貞治会長が明かす裏話「なんでだろう」…第1回WBCメンバーから斉藤和巳が漏れた理由

ソフトバンク・王貞治会長(左)と侍ジャパン・栗山英樹監督【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・王貞治会長(左)と侍ジャパン・栗山英樹監督【写真:荒川祐史】

第5回大会は大谷翔平が参加…王会長が語る第1回大会との“熱量”の違い

 3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で野球日本代表「侍ジャパン」は3大会ぶりに優勝を勝ち取った。大谷翔平投手(エンゼルス)の投打の大活躍が原動力となった中で、ソフトバンクからは4選手が参加。甲斐拓也捕手、牧原大成内野手、周東佑京内野手、近藤健介外野手がそれぞれの役割を果たし、世界一に貢献した。

 大会前に、鈴木誠也外野手(カブス)が左脇腹を痛めて辞退をしたことで、牧原大が追加招集された。2月28日に声がかかり、藤本博史監督からも「今すぐ返事せんでええから。1日考えてから返事したらどうや」と時間をもらい、3月1日に参加する意思を伝えた。「最後の瞬間に守備に就いて優勝を迎えられたことはいい経験になりました」と大会後に話した通り、参加したことは何よりも貴重な時間となった。

 追加招集を受けるかどうか。迷う牧原大の背中を押したのが、意外にも斉藤和コーチだった。「行く以外の選択肢、なくないか?」。ネガティブなことは一切言わず、とにかく参加するべきじゃないかと伝え続けた。斉藤和コーチ自身、WBCや五輪などで日本代表を経験したことがない。だからこそ、貴重なチャンスを絶対につかみ切ってほしかった。

「選ばれていたら喜んで出ていたよ。だって、選ばれな出られへんねんで?」と斉藤和コーチは日本代表へのスタンスを語る。2005年に16勝1敗の圧倒的な成績を残したが、2006年のWBCの第1回大会には選ばれなかった。その後は右肩を始め、故障に悩んだが、当時は「万全の体調だった」。なぜ選出されなかったのか。2006年の第1回WBCで代表監督を務め、世界一に輝いた王会長に理由を聞く機会があった。

「何かな? なんで選ばれなかったんだろう? 俺たちは正当で、一番いいメンバーを選んだつもりだけどね」という。ホークスの投手では和田毅投手、杉内俊哉投手、馬原孝浩投手が選出された。野手でも松中信彦内野手、川崎宗則内野手も選出され、王会長は「人数の、頭数の関係じゃないかな? 第1回だったから、今みたいにピシッとしていなかったしね」と思い返す。

 言葉通り「頭数」が理由そのものだったかはわからない。王会長も「16勝していて選ばれないなんてありゃしないだろ」というほど。それでも、第5回となった今回とは、大会への雰囲気が全く違ったことは確かだ。王会長が当時を回想する。

「あの頃は最初だったから、中には『出たくない』って言った人もいたしね。(今回と比較しても)全然違うよ。何が何だかさっぱりわからなかったし、どういう意味の大会かもわからなかった。だからチームで、ある程度のバランスを考えたんじゃない」

 第5回大会は大谷をはじめ、ダルビッシュ有投手(パドレス)、メジャーリーグに挑戦する吉田正尚外野手(レッドソックス)も参加。NPBからも続々とチームの主力選手が参加を決め、文字通り“最強チーム”と言えるメンバーだった。「逆に今の方が選手を選びやすいんじゃない? 今だったら最強チームを選ぶしね」と王会長。大会そのものが持つ意義に対して、現役選手の捉え方が変わってきた影響は大きいだろう。

 2006年は松井秀喜外野手(当時ヤンキース)や井口資仁内野手(当時ホワイトソックス)が辞退するなど、メジャー球団の考えもあって選手選考は紆余曲折を経た。第5回大会では、楽天の田中将大投手が自身のSNSで参加の意思を表明したが、選出はされず。王会長も「マー君もそんなことを言っていたよね」と胸中を慮る。“出てもいい”というような時代から“出たくても出られない”というフェーズになっている。それほどまでに大会が成長した何よりの証だ。

「(斉藤和巳が選出されなかった理由は)もう10何年も前のことだから、覚えていない」と王会長は笑った。2006年に斉藤和コーチは沢村賞に輝いたが、その後は右肩の故障に苦しんだ。“負けないエース”が世界を相手に投げる姿を見たかった気もするし、出なかったことが沢村賞につながった気もする。正解は誰にもわからない。“世界の王”が「今だったら全員が『出たい』『出たい』だもんね」というWBCは、これからどんな伝説と歴史を紡いでいくのか。

(竹村岳 / Gaku Takemura)