ソフトバンクの東浜巨投手と高田知季リハビリ担当コーチ(野手)は亜大時代から14年間、同じチームで過ごした間柄だ。高田コーチは昨季限りで現役を引退し、今季から指導者として第2の人生をスタートさせた。東浜は「『まだ早いやろ……』というのが正直な思いでしたよ。大学から同じだったので、寂しさはありました」と決断を尊重し、今はそれぞれの道を歩んでいる。
東浜は2012年ドラフト1位、高田コーチは同3位で入団。高田コーチは1軍で通算444試合に出場し、10年間の現役生活を終えた。大学1年時から14年間もチームメートだった2人。東浜も「『お疲れ様でした』という気持ちしか、尊敬しかない」とリスペクトする。初対面から、プロ入り後の関係性まで、東浜の視点から語ってもらった。
東浜は沖縄尚学高時代の2008年、エースとして選抜大会優勝に貢献した。岡山理大附高の高田コーチが沖縄遠征した際に、2人は対戦した経験がある。高田コーチが「三振と、三塁線を抜くツーベースでした。巨も覚えていると思いますよ」と話せば、東浜も「めっちゃ覚えています」と懐かしそうに振り返る。亜大のセレクションで再会し、2人の関係はスタートした。
4年生になると東浜は主将に、高田コーチは副主将に就任した。「僕らの代で1年の春からずっと試合に出ていたのが、僕と高田だった」と経緯を明かす。投手での主将は亜大では初だったといい「ピッチャーのキャプテンはなかなかないんです、うちの大学は。実質のキャプテンは高田の方だったんじゃないですか」。そう語るのも、高田コーチへのリスペクトがあるからだ。
ノックや打撃練習など全体で動くことが多い野手に対して、投手は個人練習の時間も多い。当時について「投手はメイングラウンドでもほぼ練習しないんです。サブグラウンドで走っているか、ブルペンで投げているか。でも一番の練習はメインじゃないですか。そこを仕切っていたのが副キャプテンの2人(高田コーチともう1人)と学生コーチだった」という。「実質キャプテンの仕事をしていたのはジャパ(高田の愛称)の方だと思いますよ」と回想する。東都大学野球で何度もリーグ優勝に輝いた中で東浜と高田コーチが中心だったことは間違いない。
「僕はみんなをまとめるというよりは、背中で引っ張っていくようなキャプテン像でした」
運命のドラフト会議を経て、ホークスでもチームメートになった。シーズン中なら試合開始の時間に合わせて、規則的なスケジュールになるプロ野球。「投手と野手は動きが違うので、話すことは減りました」。生活リズムが違うだけだったのに、今でも苦笑いで振り返るのは、亜大の先輩である“熱男”松田宣浩内野手(現巨人)からの容赦ないイジりだった。
「周りの先輩方が変なイジり方をするんで。松田さんとかが『お前ら仲悪いやろ』『全然喋らんやん』みたいな。そういうやりづらさはありましたけど、別に全然そんな感じじゃなかったですよ」
東浜はプロ1年目を「一番きつかった1年」と表現する。結果的に3勝を挙げたが2軍調整の時期が長く、4月から約5か月、1軍のマウンドから離れた。高田コーチは8月6日のロッテ戦(当時ヤフオクドーム)で初安打を記録。「(高田は)1年目でもずっと上(1軍)にいたりしたので、すごいなと思いつつも、それどころじゃないみたいな感じでした」。東浜は9月23日のロッテ戦(同)でプロ初勝利。苦しい中でも刺激をくれた存在が、高田コーチだった。
亜大時代の同期で現役を続けているのは東浜と、社会人で1人いるだけだという。「高校の同級生も、もうみんな野球の現役を引退した。好き勝手に野球をしているのは僕だけじゃないですか」と笑うが、第一線で戦う東浜の存在が同級生たちに勇気を与えているはずだ。今月20日で33歳になる。多くの人の期待と、応援する気持ちを背負って、東浜はマウンドに立ち続けている。