2012年ドラフトで1位の東浜巨と3位の高田知季…亜大出身で深まった絆
少しだけ、左腕に注目してほしい。高田知季リハビリ担当コーチ(野手)は、指導者となって1年目。「責任感を強く持ってやらないといけない」と選手の人生を預かりながら、毎日勉強の日々を過ごしている。アマチュアとプロ野球で14年間チームメートだった東浜巨投手とは「選手とコーチ」の関係性になった。
2012年ドラフト1位で亜大から入団した東浜と、同3位だった高田コーチ。主将と副主将として亜大を支え、プロでも同じユニホームに袖を通すことになった。沖縄尚学高時代は春の甲子園で優勝した東浜。アマチュア時代から知名度のあった右腕との初対面を、高田コーチは少し苦笑いで明かした。
「僕正直、人にあまり興味がなかったんですよね。僕が亜細亜大に進学すると周りに言ったら絶対に巨の名前が出たんです。『じゃあ東浜と一緒だね』って。僕はあまり知らなかったので、1年生で入ってきて『あれがみんなが言っている東浜か……』ってレベルでした」
さらに高田コーチは沖縄遠征時に試合をした経験もあるという。「結果は2打数1安打で、三振と三塁線を抜くツーベースでした。巨も覚えていると思いますよ」。その時は大学、プロでチームメートとなるとは思っていなかった。ドラフトを経てホークスでもチームメートになると「僕にとっても巨が最多勝を獲って刺激になりましたし、お互いに頑張ろうという気持ちで入ってきた」と常に刺激になる存在だった。
高田コーチが現役引退を決め、コーチ就任がまだ球団から発表がされる前に東浜に連絡をした。「『引退するわ』って感じでした。結構軽めに」と明かす。そこにも高田コーチなりの思いやりがある。「巨に限ったことじゃないですけど、なんて言えばいいのか、気を使わせるのも嫌だった。戦力外になるのはなっても、僕が逆の立場でも嫌だったんです」。LINEで真っ直ぐに報告して、新しい関係性が始まった。
引退を決めた後の球団納会の場。東浜からプレゼントを手渡された。縦長の紙袋に入っていたというのはApple Watch。コーチとなった今、左腕に着用しているものだ。「『現役、お疲れ様』っていう意味で。そうやってくれるのもありがたいですし、嬉しかったです。その時は中身は見ていなかったんですけど、帰って確認しました」。気持ちを受け取り、今は指導者として愛用している。
先に現役を終えることになり、東浜に願うことは1つだ。
「僕が選手としてやれない以上は応援する側なので。僕ら世代の亜細亜大出身のプロ野球選手は1人しか残っていない。僕は託す側になったので、頑張ってほしいとは伝えました」
現役選手でいられる時間は、終わってみれば儚く、尊い時間だ。「みんながいる前ではちょっとしたそういう部分(コーチと選手という関係)は作らないといけないですけど、ユニホームを脱げばここまでの関係は変わらないです」と話す表情は、仲間の未来を誰よりも願っていた。
(竹村岳 / Gaku Takemura)