2度の手術で“腐った”ことも… “新米指導者”高田知季コーチが若鷹に伝えたい経験

ソフトバンク・高田知季リハビリ担当コーチ【写真:竹村岳】
ソフトバンク・高田知季リハビリ担当コーチ【写真:竹村岳】

高田知季リハビリ担当コーチは昨季限りで現役を引退…指導者に転身

 現役時代に味わった全てが、指導者となって生きている。高田知季リハビリ担当コーチ(野手)は、筑後でリハビリ組にいる選手の復帰を後押ししている。指導者に転身した今、何を考えながら選手と接しているのか。

 2012年ドラフト3位で亜大から入団。1軍通算444試合に出場して127安打を放ち、ハイレベルな守備力で何度もチームを救った。昨季限りで現役を引退すると、コーチに転身。「今までは自分のことを考えていましたけど、今はそうじゃない。プレッシャーじゃないですけど、責任感を強く持ってやらないといけない」と、選手の人生を背負うことに自覚が芽生え始めたところだ。

 高田コーチは現役時代に2度の手術を経験した。特につらかったと振り返るのが、1度目となった2016年9月に受けた肩関節鏡視下バンカートの手術。「半年くらいかかると言われて、それが初めての手術だったので。悲壮感もあって、1回目の時はやる気がないじゃないですけど『どうせ半年かかるし……』ってマイナスなことばかり考えていました。取り組み方は良くなかった」と、自分でも“腐っていた”ことを認める。

 2度目は2020年5月の左足首の手術だった。術後は「1回目の反省を生かさないといけないと思ったので、教訓にしていました」と前を向いた。だからこそ、リハビリ組にいる選手の気持ちが理解できる。「僕の1回目の手術の時のような失敗を、今の選手にはしてほしくないので。僕が経験したことを伝えながらやっています」と選手に寄り添う引き出しを常に考えている。

「リハビリ組という場所は、怪我をしてやりたくてもできない選手がいるので。その辺のモチベーションの持っていき方は、落とさないように、怪我している期間でもレベルアップして復帰できる形に持っていきたいので。コミュニケーションの取り方は大事にしています」

 コミュニケーションと一言で表現しても、声をかければいいだけではない。時にはそっとしておくこともコミュニケーションだ。「話した時のテンション、トーンで(気持ちが)落ちているかどうか、ある程度はわかるので」とタイミングが重要であると強調した。現実から目をそむけたくなっている選手も、怪我を受け入れて前を向く選手も、頻繁に言葉を交わしながら選手の心の状態を把握していないといけない。

 前向きに取り組んでいる選手は、コーチが常に目を光らせている必要はない。大切なのは、モチベーションを保てていない選手とのコミュニケーションだ。「落ちている選手は違うアプローチをするように。怪我をした当初はどんな声をかけても難しい部分がある。少し時間をかけてあげて、声をかけるタイミングは難しいですけど意識はしています」と何事も勉強の日々を過ごしている。

 さらに指導者として成長するために、球団も力を貸してくれた。現在、筑後市内に「球団からのお願いと、僕もこっちに住んだ方がいいかなというのがあって。借上げ物件に住まわせてもらっています」と単身で過ごしているという。「車で5、6分」という近さで「朝も早くないですし、移動する時間もなくなった」と生活リズムを一定にして過ごすことができている。

 昨季を最後に現役を引退したが、「正直、足首の方も良くなかったので。手術するかしないか、瀬戸際のところだった」と、ここでも怪我が決断の引き金になった。怪我に関していえば、自分と同じ道は歩んでほしくない。選手に後悔のない野球人生を送ってもらうことが、今の高田コーチのモチベーションだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)