ソフトバンクの大関友久投手が、31日のロッテとの開幕戦(PayPayドーム)で先発登板する。大関にとっては初の大役で「開幕戦で絶対に緊張すると思うので、あまり決めすぎずに。自分のピッチングをすることに集中して、いろんなことを受け入れながらやりたいと思います」と心境を表現した。
2月21日、コーチ室で藤本監督から「開幕いくぞ」という言葉で託された。オープン戦は3試合に登板して2勝、防御率1.29と相応しい成績を残した。「試合が近づいてきたら高まってくると思うので、心の準備はしています」と想像はしてみるが、立ってみないとわからない舞台。感情が表情にはあまり出ないことも特徴的だが、しっかりと緊張感と責任を持ってここまでを過ごしてきた。
藤本監督にとっても“チルドレン”と呼べる存在だ。大関が支配下登録された2021年は2軍監督を務め、その姿を見守った。2022年に1軍監督に就任すると、開幕ローテーションに抜擢。7勝を挙げるなど大関にとっても飛躍のシーズンとなった。指揮官2年目の2023年。大関に大事な一歩目を任せると決めた。
大関と目指した夢は、奪われようともした。昨季の8月3日、球団は大関が「左精巣がん」で手術を受けたことを発表した。その日、チームは札幌での日本ハム戦。ナインには指揮官の口から伝えたが、目には涙が浮かんでいた。7月のオールスターにも選出され、後半戦の柱になってもらおうとした矢先。いても立ってもいられず、病室にいた大関の電話を鳴らした。「もしもし、藤本です」。伝えたかったのは、たった一言だ。
「ゆっくりでええ。待ってるから、焦らんでええからな」
時間にしてはたった30秒ほどの電話だったという。「そんなにも気をかけてもらって、本当にありがたかったです」と大関の胸も熱くなった。リハビリの日々でも前を向けたのは、指揮官からの信頼があったからだ。退院後は自宅に戻れたが、チューブトレーニング程度しか体は動かせず。キャッチボール相手もいないため、夜の「人(ひと)気のない、誰にも迷惑をかけないところ」で壁に向かってボールを投げたこともあった。
結果的に昨シーズン終盤には1軍に復帰した。斎藤学投手コーチも「どんな形でもいいから貢献したいという思いがほぼ全員に伝わるくらい。やめとけとは言い切れないくらい大関に押された」と話すほど、絶対に1軍に戻ると決めて過ごしていた。大関も「とにかく集中していました。必要とされるならシーズン中に復帰したい思いがあったので」と今だから明かせる。大関にしかない戦いが、そこには確実にあった。
入院を含めた復帰までの道の中で、一番の発見は野球ができる喜びそのもの。野球に対しても「投げないとダメだなって思いました。ものすごく大切な経験となりました」と、新しい感情が芽生えた時期だった。野球は、大関友久の全てだ。
「動けなかった時に、野球だけじゃなくて人間としても不安になっていた。そういうのも、体を動かしたり、特にボールを投げたりして忘れていくというか、そういう感じでした。ボールを投げるというのは僕にとって大事なこと、投げられないことってこんなにストレスなんだと思いました。復帰するまで手術してくれた人から、1軍に戻るまでの関わってくれた全ての人に感謝です」
「適度に不安があるのは普通のことだと思うので、そこは受け入れて。ほぼ思っていた通りに来られたと思うので大丈夫だと思います」と、直前まできて全てを受け入れるつもりでいる。指揮官との新しい一歩は、開幕投手という大役となった。大関なりに背負えるものは背負って、開幕戦のマウンドに立つ。