1軍復帰へ準備は整った。ソフトバンクの藤井皓哉投手が22日、ウエスタン・リーグのオリックス戦(タマスタ筑後)に登板して1回を無失点に抑えた。「体も問題ないですし、先頭の四球だけですね。あとはしっかりと投げられました」。1軍戦を見据えた中で結果を残してみせた。試合後、鷹フルの単独取材に、リハビリ中に抱えていた葛藤や、もどかしさを吐露した。
先頭の廣岡にはこの日最速の153キロを計測するも、四球を与えてしまった。ただ、そこからは圧巻だった。4番の来田を151キロの直球で3球三振。杉澤、池田はフォークで連続三振と、結果的に3者連続三振を奪った。防御率0.98の成績を残してきたリバン・モイネロ投手が離脱したことで、藤井は昨季務めたリリーフに再転向することに。同点の8回、本番さながらの状況で文句なしの内容だった。
昨季は中継ぎで55試合に登板して防御率1.12。大車輪の活躍でブルペンを支え、チームに貢献した。今季からは先発に転向し、9試合に登板して5勝3敗、防御率2.35。6月11日の巨人戦(PayPayドーム)で左脇腹を痛めると「左内腹斜筋の肉離れ」と診断され、リハビリ組調整を余儀なくされた。そこから約1か月半、藤井はどんな心境で自分と向き合い、どんな感情を抱えて過ごしてきたのか。
「最初は自分に対して、すごく腹立たしさというか。なんで怪我をしてしまったのか、というか。投げられなくて悔しいなってすごく思いました。でも、リハビリをやっていく段階で前向きにやっていこうと。この期間が成長できた期間になったら、よりいいなと思ってやってきました」
巨人戦の後にすぐさま病院で受診した。診断結果を聞いた時の心境も「投げた時に『やったかな……』っていうのがあって、もっとひどいイメージもしていたので、安心した部分がありました」と振り返る。自分自身の感覚よりも診断結果は“軽い”ものだったというが、ホークスに入団して2年目、初めて本格的なリハビリ生活が始まった。
リハビリ当初はバイクを漕ぐなど地道な日々が続いた。「正直(練習に)来るのも嫌だなって思う時もありました」というのは偽りのない本音だ。「最初はランニングにも制限があった。普段は、暑くなると『外で走るの嫌だな』って思う時もありますけど、それも走れなくなると、外で走りたいなって思ったり」という。
左脇腹の怪我は生活に支障も出た。「車から荷物を降ろす時とか、くしゃみしたり、咳をしたりしても痛みがあった」。腰を捻って、何か物を取ることもできない。グラウンドでも自宅でも、これまでなら何気なくしていた仕草1つにも気を配らないといけない、繊細は日々を過ごしていた。気付かされたのは“普通”のありがたみであり、幸せそのものだ。
「何気ない生活の中でも、(体に)負担をかけていたんだなっていうのは感じましたし。普通の生活ができることも、投げられることも幸せなんだなって。より感じることができました」
「(前を向かせてくれたのは)やっぱり投げられたことじゃないですかね。ネットスローから始まりましたけど、ネットに投げているとやっぱり人に投げたいなって思いますし、人に投げるとピッチングしたいなって。そうしたら打者を抑えたいなって気持ちにもなるので、怪我が良くなってきて普段通りになっていったことが一番前を向かせてくれました」
チームは43勝37敗2分けの3位で前半戦を終えた。9連敗のまま球宴休みに突入してしまった。リハビリ中も「(1軍の試合は)見てはいましたけど、自分が関わっていない試合は……。見たくないじゃないですけど、見ても素直に見られない自分もいたので、もどかしい思いはありました」と悔しさはつきまとっていた。
22日に登板して連投をテストする予定。問題がなければ、首脳陣は中継ぎとして藤井を1軍に昇格させる考えを示している。中継ぎ再転向にも「言われたからにはやるしかない。もちろん先発と違って、厳しい、点のやれない状況もあると思いますけど、そこをしっかりゼロで抑えられるように」と受け止める。「必要としてもらっているので、そこは意気に感じて」と、チームのためだけに腕を振るつもりだ。
「場所が場所なので、誰がやってもプレッシャーの感じるところ。そこは感じながらも、やっていかないといけない場所だと思うので。その中で結果を出せるようにやっていくのがプロだと思うので、そのつもりでやっていきたいです。自分1人で何かがどうこうできる問題ではないかもしれないですけど、多少変わればいいなと思って、やっていきたいです」
体の準備は万端。1軍を離れてしまった1か月半で、心の面でもたくましくなった。残り61試合。首位のオリックスと5.5差という現状を変えるため、藤井皓哉がもうすぐ帰ってくる。