「痛み止めなんて効かない」 明石健志コーチが今だから明かす…壮絶な腰痛との戦い

ソフトバンク・明石健志2軍打撃コーチ【写真:竹村岳】
ソフトバンク・明石健志2軍打撃コーチ【写真:竹村岳】

現役時代に悩まされた腰痛…今は愛息を抱っこ「単純にもう重いです」

 ようやく愛息を抱きかかえることができるようになった。ソフトバンクの明石健志2軍打撃コーチは、指導者として第2の人生を歩み始めた。形は違えど、現役時代に向き合ってきた腰痛との付き合いは今も続いている。「子どもの抱っこはできるようになりましたけど、単純にもう重いです」と笑顔で語った。

 明石コーチと腰痛との付き合いは長い。初めて異変が出たのは「何歳か忘れましたけど、20代前半」という宮崎でのフェニックス・リーグだった。「アウトコースのボールにバットを出したんです。ファウルになればいいと思ったらフェアになって、走ろうとしたら腰がやばくて」と振り返った。その球筋は今でも覚えている。常々、腰の痛みを「抜ける感じ」と表現する。1年に1回だった“抜け”は年を重ねるにつれて2回、3回と増えていった。

 さらにその腰痛は“爆弾”のようだった。「300回バットを振っても大丈夫な時もあれば、1回で“抜けて”しまう時もある。前兆はなかったので」。実際に数回のスイングで痛めたこともある。腰の状態に常に気を配る人生が始まった。朝起きれば、まずは腰の確認から1日が始まる。「毎日ですよ、毎日そうです」と振り返る。

 落ちているものを拾う時も、腰を曲げるのではなくて、膝から曲げて手を伸ばす。特に「きつい」と説明するのは、少しだけ腰を前傾する姿勢だ。オフに行われる球団のゴルフコンペにも何年も参加していない。「パターを打つ姿勢とか、ああいうのが一番きつい。曲げてしまう方がマシです」と、オフの楽しみをも奪われながら、腰痛との付き合いは続いた。

 そして、明石コーチが「今でも忘れない」というのが、2019年1月16日だ。日付まではっきりと覚えている。ファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」での打撃練習中。またしても痛みが出た。春季キャンプまで約2週間ほど。「体はできていたので、1週間で治せば、治してからでもいける」と思っていたが、一向に状態は上向かなかった。

「全然治らないんです。常に腰が抜けそうで」と当時を思い返す明石コーチ。トレーナーからも電話で状態を確認され、2月の春季キャンプはB組からスタートとなった。しかし、状態は上向く気配を見せない。「室内で3割くらいのスイングで振ったら本当に抜けそうになって。これはもう無理だと思いました。選択肢が手術しかなかった」。日常生活すらまともに送れないような状態だった。

 手術をしても元通りにはならなかった。特に違いを感じたのは可動域の差。明石コーチの打撃フォームといえば、体をひねることで飛距離にも、あらゆる球種にも対応するのが持ち味だが「手術する前は痛めても、治ったら前と同じプレーができた。でも手術をしたら腰の中が固いというか、張り付いている感じはありました。今までならグッと捻られたところが、体が引いてくれなくなった」と違いを語る。

 常に痛みとの戦いだった。「飲み薬の痛み止めなんて何も効かないんですよね。飲んでいるから大丈夫っていう“おまじない”みたいな」という状態だった。椎間板の中に直接打つブロック注射は1か月に1度しかできず「その時はめっちゃビックリするくらい効きます。でも効果がなくなって、2回目はまた全然効かない」。取れる手立ては全て尽くして、グラウンドの上に立とうとした。1軍の戦力であろうとし続けた。

 昨季限りで現役を引退して、今季からは2軍打撃コーチとなった。選手の練習を見守る中でも、無事に毎日を過ごしてほしい思いは強い。「怪我しないなら、怪我しない方がいいんです。僕は怪我をしてしまったので」。今を生きる選手たちにメッセージを送っていた。

(竹村岳 / Gaku Takemura)