ランゲルハンス細胞組織球症を公表「世界中でも文献ないほどの例だと…」
「病気になったのが自分で“アタリ”やなって。今ではそう思えますね」。穏やかな表情で口にしたのは田上奏大投手だった。今春に難治性の疾患「ランゲルハンス細胞組織球症」と診断され、背骨が解けるなどの症状が出ていたことを公表した右腕。前を向けるようになるまでには、相当の時間がかかった。
今春のキャンプ中に体調が悪化し、すぐさま病院を受診した。当初は原因がわからず、がんの可能性もあると告げられた。「とにかくパニックになって、すぐお母さんに泣きながら電話して……」。母の由香さんは田上が高校生の頃に乳がんを患った。右腕の胸に残った感情は「心配をかけて申し訳ない」だった。
その後の診断で「ランゲルハンス細胞組織球症」という聞き覚えのない病名を告げられた。「僕の年齢での発症は世界中でも文献がないほどの例だったらしくて、お医者さんもどう治療していいかわからなかったみたいです」。病院で見せられたレントゲン写真には、背骨にハートマークのような穴がぽっかりと開いていた。「野球なんてどうでもいい。死にたくない。生きたい」――。純粋で、強烈な思いだった。
2月下旬には選手寮から大阪の実家に戻った。待っていたのは、いつもと変わらぬ笑顔で接してくれた由香さんだった。少しずつ平穏を取り戻していく中で、芽生えた感情があった。「病気になったのがお母さんやお兄ちゃんじゃなくて、自分でよかったな。“アタリ”やったなって」。
症状が進んでいれば、完全に背骨が潰れる危険性もあった。「本当に一歩手前だったと言われて。もし潰れていれば、下半身不随になって車いす生活だったかもしれないって」。ランゲルハンス細胞組織球症は、ほとんどが子どもに発症する病気。もう一度、野球ができることへの感謝を胸に、リハビリを続けた。
10月9日の3軍戦。田上はマウンドに戻ってきた。登板後には涙を流しながら病気を公表した。「正直、もう投げられないのかなと思うこともあった」。立てるとさえ思っていなかった新たなスタートライン。涙にくれた日々を越え、もう泣くまいと決意した。
「お母さんには『泣きたいときはいつでも泣いていいんやで』って言われているんですけど、次に泣くんだったら、1軍で勝ってからですね」
今オフには2度目の育成再契約を結んだ。3桁の背番号から再スタートだが、表情は晴れやかだ。「自分がやることをやれば、絶対(支配下登録に)戻れると信じています」。そしてこう続けた。「どん底まで落ちたので。ここからは上がるしかないですから。これからの野球人生がどうなるにしても、とにかくやり切って終わりたい。それだけです」。
波乱万丈の1年を終えた右腕。病気とはこれからも付き合っていかなければならない。それでも公表を選んだのは、同じ病気で苦しむ子どもたちに少しでも元気を与えたいから。家族が苦しむ姿を見るくらいなら、自分が困難と立ち向かう――。誰も歩んだことのない道を進んでいく21歳。それでも、田上奏大ならきっと大丈夫だ。
(長濱幸治 / Kouji Nagahama)