育成ならではの生々しい“お金の話” 師匠は甲斐拓也と牧原大成…石塚綜一郎が授かった教え

会見に臨んだソフトバンク・石塚綜一郎【写真:竹村岳】
会見に臨んだソフトバンク・石塚綜一郎【写真:竹村岳】

オフは甲斐拓也のもとで自主トレ…牧原大成から話を聞くと「今の育成と全然違う」

 ソフトバンクは24日、中村亮太投手、三浦瑞樹投手、前田純投手、石塚綜一郎捕手を支配下選手登録することを発表した。石塚綜一郎は育成5年目にして、初めて2桁の背番号を掴んだ。師匠と仰ぐのが甲斐拓也捕手と牧原大成内野手だった。2人から授かった“生々しい話”が、支配下選手登録への決意を新たにした。「生きていく上での生活がかかっていた」からだ。

 秋田県秋田市出身。「市内ですけど、僕のところはめっちゃ田舎です」と静かな町で生まれ育った。「1学年でも1クラスで、同級生は12人しかいなかったです。その中でも男子はみんな野球をしていました」。石塚自身が野球を始めたのは、祖父の影響。テレビに映っていたのは楽天戦で、エンジ色のユニホームにも憧れて「グラブに触ったのが最初です。スポーツ少年団に入ったのは、小学校3年生でした」とのめり込んでいった。

 黒沢尻工では通算39本塁打を放った。2019年育成ドラフト1位で指名されて、プロの世界へ。初めてもらった背番号は121番となった。4年目が終わった昨オフ、勇気を出して甲斐に「自主トレに参加させてください」と頭を下げた。2010年育成ドラフト6位の入団から日本を代表する捕手になった甲斐は、背番号3桁時代に何度も挫折も味わっている。後輩たちにしてくれた話も、説得力に溢れるものばかりだった。

 昨年11月、本人に弟子入りをお願いをした。「ちょうど、人数を減らそうかという時だったみたいなんです。『大丈夫だと思うけど、どうなるかわからない』とは言われていました」とやり取りを明かす。挨拶をする程度の面識ではあったが、自分自身の成長のために、正捕手の自主トレに飛び込んでいった。

 巨人・山瀬慎之助捕手や、阪神・藤田健斗捕手ら同学年が多かった。寝食をともにする中で甲斐から説かれたのは“一芸に秀でなさい”ということ。「育成なんだから、何かでアピールをしないといけない。拓也さんは『肩には自信があった』と話されていましたし『なんなら声でもいいんだ』って言われました」と明かす。石塚も「その段階では捕手として守備力を高めないといけないと思っていました。でも、お話が一番(の目的)だとも思っていましたし、貴重な時間ばかりでした」と毎日が収穫。自分自身に求めるハードルも、自然と高くなっていった。

「今の段階で、育成と支配下で抱いている悩みって本当に全然違います。山瀬たちが持っている悩みっていうのは、もちろん大変だとは思うんですけど自分からしたら羨ましかったです。それもどっちも経験している拓也さんだから出てくる話がありましたし、すごく勉強になりました。自分なら持ち味はバッティングだと思いますし、拓也さんがおっしゃっていたのは『長所を伸ばせ』ということでした」

会見に臨んだソフトバンク・石塚綜一郎、前田純、三浦瑞樹、中村亮太(左から)【写真:竹村岳】
会見に臨んだソフトバンク・石塚綜一郎、前田純、三浦瑞樹、中村亮太(左から)【写真:竹村岳】

 牧原大との関係は、今年になって深まった。4月末に右脇腹を痛めて登録抹消となった牧原大。リハビリから復帰し、2軍で汗を流している時、何度も食事に誘ってもらった。「牧原さんも、当時の育成の話が多かったです。拓也(甲斐)さんとも同学年ですし、拓也さんのことも教えてくださったりして。今の育成とは全然違うなって、自分もそこは足りていないなと感じる話ばかりでした」。背筋が伸びたのは、先輩たちが人生をかけて2桁を掴み取ろうとしていたことが、伝わってきたからだ。

「生々しいですけど、お給料の話だとか……。『最低年俸』って言葉も出てきましたし、そういう話を聞くと、かける思いが違ったんだろうなって思いました。生きていく上での生活がかかっていたわけですから」

 育成選手の最低保証年俸は240万円。これが支配下登録選手は420万円になる。1軍で1年間プレーした場合の最低保証年俸は1600万円。年俸が1600万円に届いていない選手は、出場選手登録日数1日につき、1600万円との差額が支払われることになる。支配下になり、1軍でプレーするようになると、待遇は育成時代とは雲泥の差になる。石塚も詳細こそ明らかにはしなかったが、牧原大から今の育成と、自分が育成だった時代とを比較した話があったそうだ。

 甲斐や牧原大が育成だった時、ファーム施設は西戸崎にあった。グラウンドの整備や、水撒きも選手たちがやらないといけなかった時代。自分なりに一生懸命に過ごしてきたつもりでも、牧原大が言うからこそ重みのある話ばかりだった。この日の会見でも石塚は「今までやってきた練習量が、はたから見たら少なかった。今年は自分が納得するまで練習して次の日を迎えていました」と明かす。自分を変えるきっかけを、与えてくれたのが偉大な先輩たちだった。

「まずは石塚綜一郎という名前をみなさんに覚えてもらえるように頑張りたいですし、与えられたチャンスをものにして結果を出していきたいと思います」。支配下登録は通過点ではあるが、スタート地点に立っただけ。甲斐と牧原大、2人の背中を追いかけて、育成からレギュラーを目指す。

(竹村岳 / Gaku Takemura)