3年ぶりに帰ってきたホークスのグラウンド「戦えることに喜びを感じた」
今や“雁の巣時代”を知る貴重な人物だ。ソフトバンクは2日、新任コーチ4人の就任会見をPayPayドームで行った。4軍外野守備走塁コーチに就任した釜元豪氏とって、ホークスのグラウンドに帰ってくるのは3年ぶり。「またユニホームを着て同じ方向を向いて戦えることに喜びを感じました」と意気込みを語った。ユニホームを脱いから少し経ち、今の若手たちを見て思うことがあるという。
長崎県出身で、2011年のドラフト会議で育成1位指名を受けて西陵高から入団した。支配下を勝ち取ったのは4年目、2015年の7月。2019年には38安打、4本塁打を放つなど通算145試合に出場した。2021年に戦力外通告を受けて楽天と再び育成契約。2022年オフに現役を引退して以降、球団職員と農業の“二刀流”として2023年を過ごしてきた。
筑後市にある今のファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」が設立されたのは、2016年3月。2面あるグラウンドに、雨風をしのげる室内練習場。ウエートトレーニング室や「若鷹寮」と、充実した設備が選手をサポートしてくれる。釜元コーチが入団した時、ファーム施設は雁の巣球場。当時と今、環境の差は比べ物にならない。今の若手たちの姿は、どんなふうに見えているのか。「正直……」と切り出した。
「正直なところ、最後の方は3軍や育成練習も多かったですし。その当時に比べると、僕らの時の3軍は1試合も負けられなかった。プロの看板も背負って、戦う相手も大学生や独立リーグで、そういう気持ちでやっていたんですけど。現役の時に感じたのは今の3軍でやっている子たちは『そういう気持ちはあるのかな』と思っていました」
そう語り「正解かどうか、わからないですけどね」と付け加えた。3軍が本格的に導入されたのは2011年から。当時の育成選手が住む寮はプレハブで建てられたものだった。グラウンド整備、水撒き、ライン引きも選手の役割。文字通り、泥にまみれて支配下を目指すしかなかった。「すごかったですからね。シャワールームにはカエルも出てきましたし」と笑って振り返る。そんな環境から千賀滉大投手(メッツ)、甲斐拓也捕手、牧原大成内野手は巣立っていった。
釜元コーチの同期入団は育成も含めて12人。しかし、高卒野手に限れば釜元コーチと、支配下4位指名の白根尚貴さんの2人だった。若手が率先するようなことも「僕、1年目は1人でやっていましたから。白根がリハビリだったので1人でラインを引いて、水も撒いて、そんな中でやっていました」と、さまざまな苦労を経験してきた。時代も環境も少しずつ移ろいだとしても、変わらない大切なものだってある。
「恵まれるに越したことはないですけど、結局やるのは選手ですから。僕たちがどうこうとか、すごいコーチが来たから、じゃあ優勝できるんですか? やるのは選手ですし、選手のモチベーションを上げたりするのがコーチなんですけど。そこを『恵まれているんだから、もっと活用した方がいい』というところも伝えていけたら」
11月のドラフト会議でも、育成選手を8人獲得した。3軍、4軍でも多くの選手を抱え、多くの対外試合を組む。時には、海外にまでも遠征に行く。実戦でしか得られないものがあるのも事実だが「僕たちの時は結果を出さないと2軍の試合にも呼ばれなかったので、ハングリー精神はありました」と釜元コーチは話す。当然、もう自分たちの時代とは違う。1人の指導者として、危機感と緊張感を与えられるようなアプローチを考えていくつもりだ。
自身の管轄は4軍。指揮を執るのは斉藤和巳4軍監督だ。今季の釜元コーチは振興部にいただけに、指導者1年目だった斉藤和コーチと首脳陣としてタッグを組むのは初めてとなる。「1年目の時に斉藤(和)監督がリハビリをされていた時に僕も怪我をして一緒にリハビリをした。その時から自分を律してされる方だったので、監督が求める野球だとか、野球に取り組む姿勢でも、熱量で負けないように」と意気込む。身に起こる全てが初めて。若鷹と一緒に成長していく。
恵まれた環境は、いけないことではない。当然、苦労すればいいというものでもない。いつの時代も変わらないのは、下から這い上がるには誰にも負けないハングリー精神が必要ということだ。「4軍の選手は高校を卒業したばかりの子が多いと思う。僕自身も育成で入ってきて周りのレベルの高さを見て不安にもなったりしたので、寄り添える存在になれたら。コーチでもあるんですけど、アニキのような存在になれたらと思います」と語る釜元コーチの表情は、明るく、純粋な笑顔だった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)