「一番に思い浮かぶ謙虚な選手というと大谷翔平選手」
愛されそうな好青年がホークスにやってきた。ソフトバンクのドラフト5位・澤柳亮太郎投手(ロキテクノ富山)が23日、都内のロキテクノ本社で仮契約を結んだ。プロとして節目の時を迎えた最速151キロ右腕は「ファンの人に応援されてナンボの世界だと思う。謙虚な選手がファンの方々にも可愛がってもらえると思うので、そこは変えずにやっていきたい」と、甘いマスクをほころばせた。
プロ入りまでのルートはなかなかの変わり種だ。明治学院東村山高では西東京大会4回戦で敗退。明治学院大では首都大学リーグの2部で4年間プレーし、全くの無名の選手だった。それでも上昇志向は不変。「プロに全く近くないような時からずっと『自分はプロ野球選手になる』と言い続けてきた」。常に自分自身を信じてきた。信念があったからこそ、独特な道のりでロキテクノ富山への入部にたどり着いた。
「明治学院大って野球に対するリクルートがとても弱い大学だったんです。自分で動かないと何もできないと思ったんです。上に行けば、絶対に通用すると思っていたので、自分からアプローチをかけないと駄目だな、と」。大学3年になると、社会人のチームに自ら電話やメールでコンタクトを取り、売り込みをかけた。返信すらないチームが多かった中で関心を示してくれたチームの1つがロキテクノ富山だった。
元阪神投手でロキテクノ富山の藤田太陽監督は「何よりも変化球の精度が良かったんです。アマチュアって変化球の精度が良くなくて、プロは変化球の精度がいいんです。真っ直ぐに伸びる要素があって、変化球の精度が高かったので、プロを狙えるピッチャーだな、と。伸びるだろうな、と直感で感じました」と当時を振り返る。練習会への参加、大学の試合の視察を経て入部が決定。自ら売り込みをかけてくる選手はたまにいるが、実際に「面白いと思ったのは初めて」だったという。
プロの世界を知る藤田監督、そしてかつてホークスでもプレーした細川亨コーチの元で成長を遂げた。大学時代は自己流で練習を続けてきた。「チーム行動だったり、ランニング、細かい体幹トレーニングとかを教えてもらい、成長してこられた。細川さんにも配球とかをキャッチャーと照らし合わせるために、ノートを試合中に取れって教わりました」。2022年に野球日本代表「侍ジャパン」U-23にも選出され、世界一に輝いた「第4回 WBSC U-23ベースボールワールドカップ」も大きな転機だった。
「一番大きかったと思うのは、U-23のワールドカップに出場できたこと。日の目を見ることができたので、大きいイベントだったと思っています。その頃から自分の中でもプロにいけるって感じ始めたので、転機というか大きなタイミングだったと思います」。社会人の強豪から選手が集う中でセットアッパーを任されて5試合に登板。6イニングで9つの三振を奪って、チームの優勝に貢献し「すごい自信に繋がったと思います」。
藤田監督は澤柳のことを「野球大好きな子。ずっと野球のことを考えている子です」と評する。根っからの“野球少年”で、野球を辞めようと思ったことは一度もない。「とにかく自分の人生なんで、1回決めたことは全部やり切りたい。『諦める』っていう言葉が嫌いなんで、諦めるんじゃなくて、やり切った、で終わりたいなというふうに思っているので」。ステージがプロになっても、その思いは変わらない。
会見の場では色紙に「謙虚」としたためた。「一番に思い浮かぶ謙虚な選手というと大谷翔平選手だと思うんです。世界一のプレーヤーだと思うので、世界一のプレーヤーに倣うのが一番いいのかなというふうに思うので、謙虚が一番いいと思います」。藤田監督も「そのまんま謙虚」と認める澤柳の人柄。プレーを含めて、澤柳亮太郎に注目してもらいたい。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)